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2013年11月

2013年11月30日 (土)

【ボードゲームレビュー】ブラックスワン(牌Ver) ★★☆☆

Blackswan_01

評価:★★☆☆[2/4](4人プレイの評価です)

プレイ人数:2~4人

プレイ時間:30分


押し付け合いの醍醐味。

簡単なゲームの流れ

  • ①各自14枚の牌を持つ。牌には、トランプと同じような数字とスートが描かれている。
  • ②時計回りで順番に自分の牌を場に出していく。複数枚の牌を一度に出す際は、同じ数字か同じスートで連番でなくてはいけない。
  • ③場に7枚目の牌を出した人が、出ている全ての牌を引き取る。
  • ④牌には得点があり、10以上やエースはプラス得点。ジョーカーやブラックスワンの牌はマイナス得点。
  • ⑤(4人プレイの場合)正面の人とチームを組み、何ラウンドかゲームした後、500点以上獲得したチームが勝利。

Blackswan_02


ゲームの総評


とてもシンプルながら盛り上がる。

二人一組になってチーム戦で闘うというのは、「ごいた」にも似ている。ごいたと同様、正面のチームメイトに見えないパスを送るゲーム展開が楽しい。「この牌出したよ!うまくさばいてね!」と心の中で叫び、こちらとしてはいいパスを送った気になっても、相手の手札がそれにうまく合致しないと逆にやられてしまう材料になる。

ブラックスワンという特殊な牌があり、これは-100点という超乱暴な特殊牌だ。一気にこちらの得点が奪われる。このお邪魔な牌を相手チームに押し付けつつ、こちらは得点を重ねるのが、まずは基本。しかし、この牌を出すのがとても難しい。いつこの牌を切るか?この決断の重さに苦しむ姿が傍から見ていて大層面白い。誰がブラックスワンを持っているのか最初は分からない。しかし次第に苦しみ始める奴が大抵ブラックスワンを持っている。早々にブラックスワンを切ってしまうのが良さそうなのに、やはりこれがなかなか切れない。逡巡してしまう。

ゲームのシステムとしては別にカードであっても全然問題なさそうだが、コンポーネントがマージャン牌になっている点がニクい。(というかそもそもカード版ブラックスワンがある)。コンポーネントとしてマージャン牌は大げさすぎるんじゃないかという気もするが、「うーむ」と悩むその姿にやっぱり牌は似合う。牌のおかげで「このゲームを遊んだぞ」という実感というか質量みたいな感覚は強く残る。とは言え、牌にハートやらスペードやらのライトなイラストがプリントされているのは、少し滑稽な感じもする。

雀牌を使ったトリックテイキングというある意味トラディショナルな要素を複数併せ持ったゲームだが、その要素の食い合わせが変わっているため、イロモノという印象もある。しかし、そんな怪しげな第一印象からは想像できないほどに、遥かに盛り上がりやすい良ゲームだった。


評価★★☆☆とした理由……4人でちょっと時間が空いている、という時に遊びたい。ルールも中々に良い。無骨な印象もあるが、予想以上に面白かった。

2013年11月20日 (水)

【ボードゲームレビュー】アンドールの伝説 ★★☆☆

Andor_01

評価:★★☆☆[2/4](4人プレイの評価です)

プレイ人数:1~4人

プレイ時間:90分


勇者になりたい。

簡単なゲームの流れ

  • ①各プレイヤーは戦士や魔法使いなどのキャラクターを選択する。
  • ②山札から物語カードめくるとイベントが発生し、ボード上に敵モンスターが出現したり、プレイヤーに指令が与えられたりする。
  • ③各キャラクターは、自らの持つ時間を消費しながら、移動やモンスターとの戦闘をこなす。
  • ④任務には様々な種類がある。(敵を倒せ、あるアイテムを運搬せよ、など)
  • ⑤すべての任務を達成できれば、全員の勝利となる。

Andor_02


ゲームの総評


買っちまった……。この思いである。このアンドールの伝説が宅急便で届いたときに思ったのはこれだ。買っちまった……。もう僕も30歳半ばである。いい大人だ。なのに、買っちまうのである。剣と魔法とドラゴンのファンタジー世界を。6歳の娘がキラキラした目でドラゴンのコマを見て言うのだ。「ねえねえっ、これなに!?」そんな純粋なまなこで見つめられると、父としては耐え難いものがある。黙々とコンポーネントをビニールの小袋に入れ分ける作業をするしかない。

2013年ドイツゲーム大賞エキスパート部門受賞。エキスパートとは言え、メジャーな賞だ。そこまでエキスパート、マニア向けではないのだろうと思い購入した。むしろエキスパートではない部分に期待したと言ってもいいだろう。マニアックでないことを望むのならば、むしろこんなファンタジーな世界のおもちゃを買わなければいいのに。買ってしまうのだ。というか欲しいのだ。因果なものである。

ボードがとても大きい。広大な世界が広がるようで無駄にワクワクしてしまう。各プレイヤーがキャラクターを選択する。魔法使いや戦士などキャラクターによって能力が異なるのはもちろんだが、出発地点が異なる。そして物語の序盤のタイトルはこうである。「勇者たちの到来」。もうこれはワクワクが止まらない。ボードにはよく見ると城が描かれている。そう、この城に勇者たちが到着するところから本格的に物語は始まる。ニクい演出だ。

システムとしては、移動や戦闘を行うことで各プレイヤーが持つ時間を消費する、というオーソドックスなもの。各自1日7時間分のリソースを持つ。この7時間を如何に適切に使って、協力してミッションを達成するかが、このゲームの目的だ。個人的に協力ゲームが大好きなので、それもあってこのアンドールは欲しくなってしまった。

戦闘はすごく単純。サイコロを振って、出目とキャラの攻撃力を足して戦闘力を算出する。敵と自分の戦闘力の差が、与えた(与えられる)ダメージになる。とても分かりやすい。複数のサイコロを振るが、攻撃力の増強には直接つながらない。出た目のなかで一番大きい目を使う。つまり、実際に戦闘で使えるサイコロは1つだけだ。複数のサイコロを振らせるのは、出目の幅を小さくするための仕組みと言える。(実際は、お話を進めるともう少しややこしいルールがある)

コンポーネントの数など非常に多くて、ややこしい印象はあるが、1つ1つの仕組みはとても素直なものだ。むしろ渋いと言ってもいい。派手さはない。サイコロをいっぱい振ってドッカンドッカンみたいな感じは全然ない。

こういう協力ゲームでちゃんと会話がゲームの主役になるのは実に楽しい。ゲームを開始してまずこんな言葉が口をつく。「これ、勝てないじゃん……」、そんな絶望の言葉。怪物が結構強いのだ。マジで強い。しかも足も速い。すぐに城は占領されてゲームオーバーの文字が頭に浮かぶ。しかし、こんな絶望を救うのが、物語カードの存在だ。

ルールの説明はほとんどないままにゲームが始まるので、開始当初どうしていいか分からず絶望する。しかし時折、物語カードがめくられ、シナリオが進行していく。物語とともに丁寧にゲームのルールや仕組みが解説される。新たなルールが追加されるたびに全員で「そうか!そうするのか。なるほど!」と言って困難を乗り越えていく。そして何より面白いのが、先ほどは救いとなった物語カードが、またすぐに絶望をもたらす点だ。今度は怪物たちの大襲来が告げられる。さっきよりも明らかに恐ろしい状況だ。どう考えても時間が足りない。負ける。みんなの頭に改めて敗北の2字がよぎる。しかし、ここまでに貯めてきたルールやスキルによって、なんとか抜け道を探り出す。こうすればいいんじゃないか。ああすればいいんじゃないか。ここで更にリスクを下げられるんじゃないか。などなど。

初めてプレイしたとき、僕を含め全員がアンドール初体験だった。これがよかった。手探りで進む楽しさを素直に共有できた。メンバーに恵まれた僕は特にラッキーだったのかもしれない。マジで楽しかった。

ゲームが終わって思った。そうそう、こういう感じのゲームがやりたかった。
やっぱりファンタジーは、夢がある。


評価★★☆☆とした理由……楽しい。このゲームは決して有無を言わせぬ傑作というわけではないだろう。でも、本当に楽しい時間を過ごせた。その楽しい時間は、幸せな時間でもあった。ロマンに心が躍る。(伝説3をまだ未プレイなので、それをやってみた後に再評価したいです。)

2013年11月14日 (木)

「超ファミコン」読み終わって思わずブログ更新してしまったよ。【コラム】ファミコン30周年に想いを寄せて

今年でファミコン誕生から30周年である。もはや自分がそんなに歳を取ってしまったのかと思わざるを得ない。30年とはもはやひとつの時代とも言える長さだ。10年単位で世相や風俗を分割するなら、既にその3回分を過ごしてしまっている。

しかし、自分自身が30年以上生きてきた事実よりも、ファミコンが既に30年前に生まれたものだということの方が遥かに感慨深い。少なくとも今の30代、40代にとって当時の生活に多大な影響を及ぼしたはずのファミコン。しかし、それを讃える報道も、評価する報道も、議論する報道も大手メディアにおいてほとんどない。ドラマ「ノーコン・キッド」の放送や書籍「超ファミコン」発売などの例はあるが、多くの場合ネットの片隅でささやかに懐かしむ程度になってしまっている。

しかし、そんな程度のものではないだろうと思う。テレビゲームは僕たちの世代にとって遊びであり、映画であり、小説であり、音楽だった。子供の頃の僕らにとって全ての文化的な活動がそこに過剰なほど一極集中していた。ゼビウスやドルアーガの世界観に想像を膨らませ、スーパーマリオの裏技について語り、ドラクエ3のアレフガルドに衝撃を受け、FFの音楽を耳コピして教室のオルガンで弾く。それは本当にもう一つの世界だった。ビットの奥の方に確かに存在する世界を、子供たちは旅していた。

ファミコンを知っている僕たちは最新のどのようなタイプのゲームを見ても、どこかに昔からあるゲームとの共通点を見出してしまう。別に進化していることを否定したいわけではなく、フッと頭の中でそうした懐古的な思いが宿る。もちろん、昔を知らない若い人と最新ゲームの楽しみ方が変わるわけではない。何かをよりよく理解しているわけでも、決して賢いわけでもない。しかし、確かに何かを僕たちは既に知っていて、そのことをどうしても意識せざるを得ない。

考えてみれば、この30年間、テレビゲームの世界は恐ろしいスピードで進化した。グラフィックは高精細・高密度になり、音楽は豊かな音階や音質を手にし、ゲームプレイはより親切で僕たちに寄り添うようになった。少し前のものが異常に古く感じられてしまう諸行無常がビデオゲームの世界だ。こんな体験は一度だけじゃない、30年で何回も味わってきた。とりわけプラットフォームとしてのハードが世代交代する度に、旧世代のハードは単に古くなるのではなく、寂しさや切なさと共に消えていった。もちろんファミコンもその流れの中で過去のハードとなっていった。

そんな経験を重ねることで、より一層変わらないモノも静かに着実に僕の中に蓄積していく。もちろん昨今の「スカイリム」「Call of Duty」「GTA」などの大作に投資された開発額や人材は、ファミコンのそれに比べれば遥かに巨大だ。僕がどれだけ「変わらない」と呟こうとも、現実として、物理的に大きな隔たりが厳然として存在している。しかし、それでもあえて言えるのではないか。ゲームにおける変わっていないモノが確かにあるのだと。

なぜそう言えるのか?

それは、この30年間、テレビゲームにおいて変わらないモノというのは、決してゲーム自身のことではないからだ。むしろ、それを遊ぶ僕たちこそが驚くほど変わらない。だからこそ、娯楽という神様に捧げられた供物であることの偉大さはいつまでも廃れることがない。ゲームほど僕たちは進化できない。だからこそ、かつての家庭用ゲーム機がくれた遊びの輝きはいつまでも曇らない。

30年の時を跳躍するのは、僕たちとゲームとの関係それ自体だ。おそらく30年後も、いやその先も変わっていないだろう。未来のゲームはどうなっているかと妄想する僕は、すでにそれを遊ぶと決めていかかっている点においてきっと変わっていない。それは、新しいゲームソフトの発売日を待ち望む30年前の小学生の僕となんら変わるところがない。

ある1本のゲームを楽しめなくなることよりも、発売日を楽しめなくなることの方が数倍恐ろしく悲しい。ゲームに飽くということは、発売日やクリスマスや誕生日に心躍らないということだ。ゲームがつまらなくなるということは、ゲーム自体の問題というよりも、ゲームとの関係の問題であり、引いては僕自身の問題ともなるだろう。だからこそ変わらないモノは過去への懐古であるだけでなく、常にまだ見ぬ未来へと確かにつながっている。

ファミコンよ。30年後も変わらず、僕らの視線の先には今なお新しいゲームがワクワクと共に待っている。そのゲームがどんな形であるかは、決して分からないのだけれど。

2013年11月 2日 (土)

【ボードゲームレビュー】マンマミーア ★★★☆

Mammamia_01

評価:★★★☆[3/4](4人プレイの評価です)

プレイ人数:2~5人

プレイ時間:30分


パーティにはピザ。

簡単なゲームの流れ

  • ①手札から窯(共通場)にピザの材料カード、もしくはピザのレシピカードを突っ込む。
  • ②窯に突っ込むたびに、山札から材料カードかレシピカードを手札に補充する。山札が全てなくなったら、ピザ作成フェーズに突入。
  • ③ピザ作成フェーズにでは、窯に突っ込まれた材料カードを順番にめくる。時折レシピカードが現れる。
  • ④レシピカードが出たら、それまでにめくられた材料カードでそのレシピ条件を満たせれるかを判定する。満たせたら、そのレシピを出した人が勝利点を獲得する。
  • ⑤上記の流れを3回繰り返し、最も勝利点が高い人が勝ち。

Mammamia_02


ゲームの総評


びびった。超名作だ、これ。なんなんだこの楽しさは。ルールを理解した瞬間の興奮は異常だった。やっぱりウヴェさん凄いな。

なにより、よく分からなくてもゲームが進む。楽しくて材料をぶち込んでしまう。なんかピザ占いでもするかのように気楽にゲームに参加できる。ピザができたらラッキー。今日はいいことあるかも。ラッキーアイテムはサラミです、みたいな。ただただ楽しい。

マンマミーアは妙に包容力がある。システムとしては記憶ゲームである。みんながどんな材料を入れたのかを覚えていれば勝てる。トランプの神経衰弱をはじめとする多くの記憶ゲームはこの「覚えていれば勝てるのに」というストレスとの戦いだ。大人になればなるほど記憶ゲームは辛くなってくる。事実、おっさんになると小学生に記憶ゲームでは勝てなくなってくる(正月に神経衰弱を遊ぶ親戚の子供たちの強いこと強いこと)。で、僕たち大人は余裕ぶってこう言うのだ。「世の中、記憶すれば良いってもんじゃない」と。

本当は悔しい。記憶できなくて悔しい。だからこそ記憶することよりも、思考したり戦略を立てたりすることの方が高度なことだと思いたくて、その方が立派なことだと思いたくて余裕をかます。なめんなよと。

そんな大人にとってオアシスとなる記憶ゲームがマンマミーアだ。覚えきれないことを受け入れてくれる。覚え切れなくても楽しいゲーム展開。記憶力が衰え、覚えられなくなった大人も優しく包み込んでくれるマンマミーアは、確かにそのタイトルのとおり、お母さんのように温かみのある記憶ゲームだ。


評価★★★☆とした理由……楽しい。みんなで集まって遊ぶことに意味がある。ぐちゃぐちゃになることがゲームの楽しさをそのまま支えている。惚れるシステムだと思う。

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