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2015年3月

2015年3月19日 (木)

【ボードゲームレビュー】枯山水 ★★☆☆

Karesansui01


評価:★★☆☆[2/4](4人プレイの評価です)

プレイ人数:2~4人

プレイ時間:90分


東京ドイツゲーム賞 大賞作品。


簡単なゲームの流れ


  • ①タイルを1枚とり、自分の庭園ボードに配置する。
  • ②取ったタイルが気に入らなければ、廃棄したり、他人に譲渡することができる。
  • ③他人にタイルを譲渡するなど、アクションによって徳ポイントを獲得できる。
  • ④徳ポイントを使うことで、庭に配置できる石が獲得できたり、他プレイヤーからタイルを強奪できる。
  • ⑤全員が自分の庭園ボードをタイルで埋めたらゲーム終了。完成した庭の砂紋の美しさや石の配置で点数計算をし、最も得点の高い人が勝ち。

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ゲームの総評

凄い人気だ。そのあまりの人気っぷりに少し怖気づいてしまう。というのも、枯山水は、とても面白いゲームだが、頭をガツンとやられるような衝撃を受けるゲームではなかったからだ。「枯山水って面白そう!一回やってみたい」と目をキラキラさせながら語る無邪気な非ゲーマーがいたら、ボードゲーム好きとしては何を語るべきか。自分が枯山水にそこまで情熱を持てないことに、少々後ろめたさを感じてしまう。


しかし、このゲームは確かに面白い。様々なメカニクスがキレイに統合されている点が素晴らしい。交渉があり、リソースマネージメントがあり、箱庭があり。色々あるのに、そのどれもが複雑すぎたり、無駄だったりせず、分かりやすく楽しめるようになっている。しかし、こうしたメカニクスの素晴らしさが枯山水人気の源ではないだろう。人気の源泉は、やはり、この「枯山水」というテーマにある。「枯山水」という言葉が持つクラシカルな響き。遠くて近い非日常的な空間。少しだけ背伸びすることを可能にしてくれる正統性のある文化の香り。こんな雰囲気を醸し出しつつ、しかもゲームとしての出来が良いとなれば、この人気は当然の結果なのかもしれない。


このゲームがプレイしやすいと思った点が2つある。1つ目は、譲渡という仕組みだ。獲得したタイルを他のプレイヤーに譲り渡すことで、徳ポイントを代わりに得られる。譲渡が可能なことで、引いてきたタイルが気に入らなくても手番を無駄にしないで済む。ここがとても気持ちのいい他プレイヤーとのインタラクションになっている。もう一つは、全員が庭を完成させたら終わり、というゲームの終了条件。経験の浅いプレイヤーとしては庭を完成させる前にゲームが終わってしまう心配に焦らされることがなく、最後までじっくりと庭を完成させられる。これは精神的にとても気が楽だ。実際は、早めに庭を完成させることに大きなメリットがあるわけだが、まあ、それはそれ、である。


しかし、初めてこのゲームをゲームマーケットで見た時、実を言うと、僕は少し期待外れの印象を持った。何も本物の枯山水庭園に匹敵する美しさを期待していたわけではないが、このゲームの庭の雰囲気がかなり予想と違っていたからだ。個人的に一番引っかかったのは、石という立体感のあるコンポーネントを平面的な紙のボードやタイルの上に置くというミスマッチ感だろう。山や滝を表現するはずの石組がフラットな地面にポツンと置かれ、浮いてしまったような表現になっていることに違和感を感じた。


SNS上に枯山水で作った庭の写真がアップされる。その気持ちは分かる。ついついこのゲームをすると完成した庭園の写真をアップしたくなる。自分もそうだ。しかし、その写真はどれも侘び寂び的な枯山水のイメージから程遠くなってしまう。正直、美しいとは言いがたい。考えようによっては、この若干、丈の足りないアートワークが、見事なゲームシステムと結合しているという点において、枯山水は極めてドイツゲーム的であるのかもしれない。


そんなことをフラフラと考えながら、今更気が付いた。よく考えると自分は枯山水についてほとんど知らない。枯山水という言葉もなんとなく知っているに過ぎない。そんなわけで2冊ほど日本庭園に関する本を読んでみた。小野建吉氏の「日本庭園--空間の美の歴史(岩波新書)」と進士五十八氏の「日本の庭園--造景の技とこころ(中公新書)」。どちらも新書であり、それほど専門的な話でもないのだが、こうした知識を少しでも持つと、また違った世界が見えてきて面白い。


例えばゲーム内に出てくる三尊石という言葉。実際の枯山水庭園でも使われる言葉で、ゲーム内と同じように立石を3つ並べて阿弥陀三尊を表現する。「真ん中のひときわ高い石が阿弥陀如来、右手の石が観音菩薩、左手の石が勢至菩薩(進士P86)」を示す。本作のゲームデザイナーの山田氏自身が日本庭園鑑賞を趣味としているそうなので、ゲーム内容が本物の庭園用語を踏まえていることは当たり前かもしれない。しかし実際にこうしてつながっていることが分かると、とても面白い。


また、庭の美しさについても色々と考えさせられる。多くの方が肌感覚で理解されている通り、日本庭園には不等辺三角形をベースにした「非対称の美しさ」という考え方がある(小野P90、進士P76)。西洋庭園のような幾何学的な美しさとは異なり、日本庭園では「地」に対する「図(例えば石組)」の配置が非対称な形になることを意図的に狙う。もしかしたら、ゲームルールという制約の中で不揃いになってしまった配石にこそ、日本庭園の精神が図らずも宿るのかもしれない。


個人的に一番興味深かったのは、『盆景』というモノ。枯山水庭園のルーツには『盆景』があるという。こちらのGoogle画像検索を見ていただくと分かりやすいが、盆景とは「小石や白砂あるいは植物などを用いて、ミニチュアの風景を浅い盆の上に表現したもの(小野P132)」で、盆栽の風景版と言えば分かりやすいかもしれない。正にボードゲーム枯山水で作るような箱庭に近い。盆景から発展して庭園としての枯山水が生まれ、庭園様式としての枯山水からボードゲーム枯山水が生まれる。少し見方を変えれば、ボードゲーム枯山水は、ある種の先祖返りのようでもある。

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↑"盆景"でGoogle画像検索した結果


こうした要素に加え、名庭園カードや歴史上の作庭家の存在など、いくつかの点で本物の枯山水要素を踏まえているとはいえ、本作「枯山水」は所詮ゲームである。しかし、ただ枯山水文化を見た目で真似ているだけではない。どんなゲームでもプレイヤーが「まねやフリ」を堪能するためには、単に見た目がそれっぽいだけでは逆に難しい。なぜなら、決してそれ自身は本物ではないからだ。ゲームは絶対に本物になることはできない。だからこそ、ゲームとしての確かな実力や芯がなければ、その「まねやフリ」はすぐさま茶番になってしまう。おそらく枯山水というゲームには、見た目や表面的な印象以上に、その骨太で筋肉質なゲームとしての実力があるからこそ、その「まねやフリ」をしっかりと支えられているのだろう。


今、様々なテレビや新聞に取り上げられ、ボードゲーム枯山水は大人気である。ついつい僕たちは「この人気をきっかけに、ボードゲームが普及して欲しい」と願ってしまう。僕も思う。しかし、ボードゲームの普及はそうした方向だけではないのかもしれない。むしろボードゲーム好きであるところの僕たちが、これをきっかけに枯山水など日本庭園に興味を持つこともまた、豊かな文化的広がりなのかもしれない。いや、枯山水だけの話ではないだろう。ボードゲームをきっかけに、ふと、ドイツ文化に興味を持つ。カルカソンヌに行ってみたくなる。エッセンに旅行したくなる。私たちの存在自体が他の文化や場所や出会いへと普及し散逸していく。こうしたゲームから離れた他文化への接続を促す点こそ、本作の素朴な(しかし大きな)意義があると考える。そしてそれができるテーマと実力が本作にはある。


「枯山水の次にやるボードゲームは?」への上手い返答を焦って求める必要はないだろう。「次は本物の枯山水も観に行ってみたいな」枯山水をプレイして自然と発せられる言葉としては、別にこれで十分なのかもしれない。



評価★★☆☆とした理由……ゲームとしてとても面白いが、「枯山水が作ってみたい」という動機でプレイすると、また違った印象になるかもしれない。不出来な庭が出来てしまった時も、「次こそはがんばるぞ」と思えるかどうかは人によるだろう。誰もが楽しめるというよりは、とても趣味的でその方向性にきわめて実直な作品だと思う。

2015年3月 8日 (日)

【ボードゲームレビュー】宝石の煌き ★★★☆

Splendor_01


評価:★★★☆[3/4](4人プレイの評価です)

プレイ人数:2~4人

プレイ時間:30分


何が欲しいかが伝わるいやらしさ。


簡単なゲームの流れ


  • ①プレイヤーは手番で、5種類の宝石コインのうち、任意の3枚を取る(もしくは同じ種類2枚)。
  • ②または、持っている宝石でカード(発展カード)を獲得する。カードには恒常的に使える宝石が描かれる。
  • ③特定の組合わせの宝石のセットを集めると、貴族タイルが得られる。
  • ④誰かがカードや貴族タイルに書かれた勝利点を計15点以上集めたら、最終ターン。
  • ⑤最終ターン終了後に、最も勝利点を獲得した人の勝ち。

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ゲームの総評

面白い。この作品は凄い。それほど革新的なゲームメカニズムではないようにも思えるが、その徹底ぶりがスゴイのではないかと思う。


本作、サラリーとしての収入は最初から最後まで一定で、減ったりも増えたりもしない。他プレイヤーとの差もほぼない。そんなシステムでありながら、どういう風に他プレイヤーとの格差が生まれていくのか、そして、どういう風に他プレイヤーとインタラクションが発生するのか。買い物ゲームとしてはよくある仕組みながら、この点に本作の特徴がある。


通常の収入は宝石の描かれたコイン(ポーカーチップ)を獲得することで得る。そのコインを使って獲得するカード(発展カード)にも宝石が描かれており、これが「減らない資金源」として使える仕組みになっている。この「減らない資金源」をいかに効率よく集めるかが鍵であり、他プレイヤーとの差はその集め方に掛かっている。マーケットに並ぶカードは全て公開されており、全員が同じ商品を見ている。だから、どのカードがもっとも良いかは、端的にカード自体の質によって決定されるのではない。誰が何を選んだか(逆に何を選ばなかったか)が、カードの質に強く影響する。ボードゲームにおける買い物メカニズムというのは、よく「ソロプレイ感がある」と評されることがある。カードに描かれた効果をじっくり考えながら、自分にとって一番いい商品が何かを考え始めると、とかくそういう面が生まれてしまうのだろう。


しかし、「宝石の煌き」では、どの商品もたった1つしかなく、次々と買える商品が入れ替わっていく。1回の手番では収入を得るか、買い物をするかのどちらかしか選択できず、「何を買おうか」という悩みが自然と分散されることになる。そして、本作の買い物のインタラクションを更に強めている理由は、カードに書かれるパラメーターのシンプルさである。各カードに特殊な能力や効果があるわけではない。だからこそ自分が欲しいものや獲得したい目的がハッキリと他人にも伝わってしまう。そのためか、欲しいモノが他プレイヤーに取られると悔しくてしょうがない。目には見えない欲望の空中戦が繰り広げられることになる。1つの商品を買い争うボードゲームは他にもあるが、徹底してシンプルで状況がハッキリしているがゆえに買い物インタラクションの楽しみの精髄を味わっている感覚がある。


欲望の空中戦は買い物対象であるカードだけではない。その資金源であるところのコイン(ポーカーチップ)でも発生する。毎ターン得られるコインが各種全部で7枚しかない。1つの種類のコインを尽きさせてしまう行為は、そのコインを得るというアクションプレイスを専有する行為でもある。こうして、購買対象のカードだけでなく、資金源自体にもインタラクションが生まれる。本作は実にインタラクティブなゲームだ。黙々とプレイしてしまうよりも、悔しさや喜びを言葉に出してプレイできる環境の方が圧倒的に楽しいだろう。


「宝石の煌き」にはエキスが凝縮されている。雑味が全くない。特殊能力の組合せを考えたり、他人との交渉に悩んだり、資源の組合せに悩んだり。そういう「ごちゃっとした要素」がほとんどない。こうした雑味の無さはある意味プレイヤーを選ばないのではないかと思う。誰にとっても魅力的な宝石の数のみが意味を持つ。どこかアブストラクト的で、カードゲームっぽいストイックさを感じさせる。一方で、鈍くボディーブローのように効いてくるインタラクションが、ボードゲーム的な充足感も与えてくれる。本作の放つ強い煌きは、アナログゲームらしいシンプルさと濃厚さの両立から生まれるのだろうと思う。



評価★★★☆とした理由……これは欲しくなる一品。どういう楽しませ方をしてくれるのか、凄く分かりやすく、「いつでもどこでも誰でも遊べるゲーム」に思える。傑作。ただ、もしかしたら、かなり正解がハッキリしているゲームかもしれないという印象もある(もう少しプレイしてみないと分からないけど)。

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