【海外記事翻訳】ドミニオンは複雑すぎた?!審査員長が語るドイツ年間ゲーム大賞の内幕
本記事は、こちらのインタビュー記事"An interview with Tom Felber, jury chairman of the Spiel des Jahres award"を訳したものです。現在もボードゲーム界において、非常に大きな影響力を持つSDJ(ドイツ年間ゲーム大賞)。その審査員長であるトム・フェルバー氏(Tom Felber)へのインタビュアー記事になります。このインタビューは、『シカゴ トイ&ゲームグループ』という団体が自らのイベントに特別ゲストとしてトム氏を招くにあたり行ったものです。ちなみに、オリジナル記事は2014年4月17日にアップされました。
何か、翻訳に誤りなどありましたら、ご指摘いただければ幸いです。以下、記事本文になります。
――ドイツ年間ゲーム大賞は、ドイツ(語圏)のボードゲーム批評家が審査員となり、ドイツ国内で発売されたゲームに対して授与される賞ですが、いまや世界中のボードゲームマニア(hobbyists)の注目を集める存在となっています。この賞がこれほど広く受け入れられてきたのは、どのような理由や経緯によるものだと思われますか?
奇妙かもしれないけど、1つには、マニア(hobbyists)向けにはしなかったからだろうね。この賞のターゲットは、すべての人なんだ。たいていの人はゲームを遊ぶのが好きだし、人と一緒に楽しむのが好きだ。だけど、そういう人でもたいていは、駄目なゲーム(bad games)で嫌な思いをした経験がある。ボードゲーム文化の敵は、コンピュータゲームじゃない。駄目なボードゲームなんだ。お店にはものすごい数のゲームが並んでるけれど、審査員は公正な審査を心がけているよ。大事なのは、独立性、信頼性、そして情熱だね。僕たちは、ゲーム業界外部の人間だ。良いゲームに関心があるだけで、特定の会社や人に遠慮する必要はないからね。今も審査員のメンバーは、この仕事でお金をもらったりはしていないよ。
――ドイツ年間ゲーム大賞のプロモーションのため、訪米されているわけですが、あなたにとって、この訪米を成功させる目標は何でしょうか。
別にドイツ年間ゲーム大賞のプロモーションツアーってわけじゃないんだよ。『ドイツ年間ゲーム大賞』は僕にとって、ビジネスじゃないんだ。プライベートな旅行として、ナイアガラの滝で「Gathering of Friends(※1)」に参加して、あとはカリフォルニアの友達に会いに行く。今回、個人的な旅行には違いないけれど、アメリカのおもちゃ・ゲーム業界の人にドイツ年間ゲーム大賞の背景を説明するいい機会ではあったね。この賞が、アメリカでも注目されるようになって、いろいろな要望をもらうようになってきたんだけど、そういうのを見てると、結構、間違った情報や誤解があるんだよね。だからアメリカでも、より多くの人がドイツ年間ゲーム大賞って実際どういうもので、審査員が何をしているのかを知ってもらえれば、この旅行は「成功」と言えるだろうね。
※1……アラン・ムーン氏が毎年主催しているボードゲームを遊ぶ招待制のイベント。ナイアガラの滝近くで開催されている。
――わたしたちの交流会(※2)以外では、旅行中、どのような時間の使い方をするご予定ですか?
個人的な観光とか、昔の友達とゲームを遊んだりするよ。
※2……「シカゴ トイ&ゲームグループ」が主催するイベント。トム氏は特別ゲストとして招待された。
――ドイツ年間ゲーム大賞のノミネートで紛糾したものを、何か1つ教えてもらえますか?
いや、すまない。できないんだ。審査中の出来事は、審査の中だけに留めておくことにしてる。
けど、一般的な話として、審査で議論になるのは、個々のゲームのテーマに対して、暴力性を懸念する声によるものが多いね。侵略、戦争、暴力、そういうテーマがそもそもゲームを楽しめるテーマなのか、適切なのかという話だね。
――2011年にドイツ年間ゲーム大賞にエキスパート部門(KENNERSPIEL)が設けられました。市場が広がったら、また新たな部門が追加されるようなことがあると思いますか?もしそうであれば、将来的に、どのような部門の追加があり得るでしょうか?
いや、3部門で十分だと思うよ。賞は少なければ少ないほど力を持つんだ。われわれとしては、できるだけ多くの新聞や雑誌に取り上げられたいわけだけど、賞の種類や受賞作品の数が多すぎると、記事を書くジャーナリストにとっては複雑すぎておもしろみがなくなるんだ。こちらもジャーナリストだから、ニュース記事ではポイントをしぼらなきゃいけないことはよくわかってるんだよ。同時に5部門も紹介したらポイントがぼやけてしまう。繰り返しだけど、「ドイツ年間ゲーム大賞」は業界やマニアのための賞じゃない。ゲームを楽しむ、すべての人のための賞なんだ。
1つ言わせてもらえば、エキスパート部門を創設した主な理由の1つは、「ドイツ年間ゲーム大賞」が複雑になりすぎるのを防ぐためなんだ。僕にとって、「エキスパート部門」の黒のポーン(※3)は、赤のポーンの「ボディガード」のようなものさ。審査員はみんな、自分たちも熱心なボードゲーマーで、革新的なボードゲームや複雑なボードゲームを愛している。だけど、そういうゲームって大体の場合、素晴らしいけど大多数の人にとっては重すぎるんだ。「エキスパート部門」が導入される前は、素晴らしいゲームだけど一般の人にとっては複雑すぎる、そんなゲームが大賞に選ばれる危険性が常にあった。「ドミニオン」がまさにそれだ。「エキスパート部門」は、この先、そういうことが起こらないように導入されたんだよ。
※3……ドイツ年間ゲーム大賞のトレードマークはチェスのポーンを模している。赤のポーンはドイツ年間ゲーム大賞。黒はエキスパートゲーム大賞のマークとなっている。ポーンのイメージ画像はコチラ。
――ドイツ年間ゲーム大賞としてカルカソンヌが選ばれた2001年からHANABIが受賞した2013年まで、振り返ってみてドイツ年間ゲーム大賞のノミネート作品はどのように変化しているでしょうか。
ノミネート作品は、その年ごとに、あらゆる面で違うよ。傾向のようなものはない。それぞれの年で、市場にどんなゲームが売られているのかによるからね。強い年もあれば、弱い年もある。ノミネートされてなかったゲームも、別の年に発売されてたら、すんなり「ドイツ年間ゲーム大賞」に選ばれることもあるかもね。もちろん、「HANABI」の受賞は、箱のサイズからして、非常に画期的な出来事になった。10年前ならありえないね。小さなゲームが受賞できるようになった、これが一番はっきりした変化かな。
――ドイツ年間ゲーム大賞の審査員はどのようにして選ばれるのでしょう。あなた自身はどのようにして審査員長になったのですか?
民主的な投票の結果だよ。ドイツでも、業界の関係者以外で定期的にボードゲームをレビューして回れるような人間は多くない。だけど、時々、新しい批評家たちが現れて有名になることがある。そうしたら、そういった人たちを審査員に推薦して、そこから現在の審査員が民主的なプロセスを通して選出するんだ。審査委員長も、推薦と投票によって決まるんだ。
――他のおもちゃ・ゲーム業界の賞で、あなたが認めているとかリスペクトしている賞というのはありますか?
僕は「ドイツ年間ゲーム大賞」を「業界賞」だとは思ってない。消費者の方を向いた「批評家賞」なんだよ。僕にとってこれは大きな違いだし、この賞が受け入れられている大きな理由の1つだよね。過去に、他の賞から一緒にやろうと言われたこともあったけど、実現しなかった。なぜなら、多くの場合、僕たちとは独立性に対する考え方や賞に対する哲学が違ったんだよね。僕も他の賞やそれぞれのやり方は尊重してるよ。だけど、正直言って、それって僕らの活動や審議には関係ないことだよ。審議に関係するのは、僕ら自身のゲームプレイだけなんだ。
――これまでドイツ年間ゲーム大賞の審査にノミネートされなかったり、推薦リスト入りしなかったゲームで、個人的に気に入っているゲームはありますか?
「キング・オブ・トーキョー」
――子供の頃のお気に入りのおもちゃやゲームはなんでしたか。
小さな紙に自分でカウボーイやインディアンのキャラクターを描いてね、名前を付けて、切り取るのさ。で、その人形でドラマティックな物語をやる、っていう遊びをしてたね。
――普段の日は何をしているんですか。
僕の生活にいわゆる「普段の日」というのはないよ。僕はジャーナリストだ。犯罪や裁判のレポートなんかの仕事が多いんだけど、旅行や車やゲームについて書くこともあるね。だから「普段の日」って言おうとすると、少なくとも5種類は「普段の日」があるね。1つめは、裁判の傍聴席座っている日。2つめは、情報収集のため人と話している日。3つめは、旅行中。4つめは、ゲームをする日、5つめは、ドライブとか車の試乗をする日。1年365日のうち、家で夜寝るのは150日以下じゃないかな。
――どのような場所で育ち、それは今のあなたにどのような影響を与えましたか?
僕は、カトリックの労働者階級の家庭で育ったんだ。スイスのチューリッヒに近い小さな村(山奥じゃないけどね)で、4人の姉妹と3人の兄弟と一緒だった。そうした環境で、人生で一番大切なことは人間関係だと学んだ。そして、無神論者になったんだ。
――これまで犯した失敗で1つあげるとしたら何ですか。そこから何を学びましたか?
毎日のように失敗ばかりしているよ。例えば、たくさん駄目なゲームで遊んでる。けど、それはやめられないんだ。だって、審査員としてはそういうゲームもやらなくちゃいけないしね。しかもいつも期待に満ちているんだ。そんなだから、何も学んでなさそうでもあるね。
――毎日何を読んでいますか。そして、それはなぜですか?
物凄くたくさんのルールブックを読むよ。あと少なくとも5紙の新聞を読む。それが仕事だからね。
――普段、あなたの役に立っているお気に入りのガジェットやアプリやソフトは何ですか?
ガジェットやアプリやソフトにはあんまり興味ないんだよね。僕はなるべくリアルな体験を心がけている。電子手帳さえ持ってない。いまだに、全ての予定は手書きで書いているんだ。びっくりするかもしれないけど、僕のケータイには一つもゲームアプリは入ってないんだ。
――ここ最近でとても笑ったのはいつですか。それは何ですか?
毎日声を出して笑ってるよ。時には自分に対して笑うこともあるしね。裁判のレポートなんかをやっていると、しょっちゅう死とか運命の厳しさ、悲しみに包まれることになる。こうした体験は普段と異なる大切な感情や人生の美しいところをむしろ楽しむようにすべきだと教えてくれるんだ。
――あなたに発想などで影響を与えているものは何ですか?
人だね。自分の頭で考える人。当たり前だからとか、いつも繰り返しているからとかの理由で愚かなことを信じない人だね。
(インタビュー記事終わり)
■最後に一言
このインタビューを読み、僕自身は審査員トム氏の「素朴さ」を強く感じた。電子手帳を持たず、ケータイでゲームをすることもなく、複雑なゲームからSDJを守るのだと語る彼の姿勢に、若干の違和感を感じた人も多いかもしれない。しかしこうした姿勢こそが、SDJという賞の特徴付けを行っていることもまた確かだろう。
ちなみに、こちらの原文記事にコメントが寄せられている。コメントの主はBruno Faidutti氏(『あやつり人形』の作者であるフェデュッティ氏本人だろうか)。コメント内容を粗く要約すると次のようなものである。
『ボードゲーム文化の敵は駄目なゲームでなく、むしろ良きゲームだ。市場に出回るほとんどのゲームは良いゲームであり、むしろ大量に良作があふれている事の方が問題である。かつてのようにベストなゲームを選ぶことは難しく、大量の良いゲームの中から特定のスタイルを選んでいるだけだ。』
なかなか面白いコメントだ。興味のある方は是非原文にも目を通していただければと思う。
■更新履歴
翻訳について、すばらしいご指摘をいくつかいただいたので、その指摘を元に以下の文言を修正しました。ちょっと分かりにくいですが、修正前と修正後の文言を並べるような形で記します。@EL_CO4twさんありがとうございました!また、@_kazuma0221さんもありがとうございました。
【2014.9.1】
(修正前)こうした新たな部門の追加は、市場の広がりに伴うものだと思いますか?
(修正後)市場が広がったら、また新たな部門が追加されるようなことがあると思いますか?
【2014.8.31】
(修正前)大事なのは、独立性、信頼性、批評への熱意だね。
(修正後)大事なのは、独立性、信頼性、そして情熱だね。
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(修正前)侵略、戦争、暴力、そういうテーマについて、それがゲームを楽しむ上で必要なのか、適切なのかという話だね。
(修正後)侵略、戦争、暴力、そういうテーマがそもそもゲームを楽しめるテーマなのか、適切なのかという話だね。
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(修正前)これだけは言わせて欲しいんだけど、エキスパート部門を創設した主な理由は、~
(修正後)1つ言わせてもらえば、エキスパート部門を創設した主な理由の1つは、~
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(修正前)唯一関係あるとすれば、僕らも同じゲームをプレイするってことだけだろうね。
(修正後)審議に関係するのは、僕ら自身のゲームプレイだけなんだ。
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(修正前)笑うことは、それらとは異なる大切な感情を与えてくれるし、人生の美しい面を楽しむことを教えてくれるんだ。
(修正後)こうした体験は普段と異なる大切な感情や人生の美しいところをむしろ楽しむようにすべきだと教えてくれるんだ。
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(修正前)人だね。自分の頭で考える人。そして愚かなことを信じない人だ。愚かなことというのは、当たり前になってしまって、ただ繰り返されてきたことでしかないからね。
(修正後)人だね。自分の頭で考える人。当たり前だからとか、いつも繰り返しているからとかの理由で愚かなことを信じない人だね。