海外記事翻訳

2014年8月30日 (土)

【海外記事翻訳】ドミニオンは複雑すぎた?!審査員長が語るドイツ年間ゲーム大賞の内幕

本記事は、こちらのインタビュー記事"An interview with Tom Felber, jury chairman of the Spiel des Jahres award"を訳したものです。現在もボードゲーム界において、非常に大きな影響力を持つSDJ(ドイツ年間ゲーム大賞)。その審査員長であるトム・フェルバー氏(Tom Felber)へのインタビュアー記事になります。このインタビューは、『シカゴ トイ&ゲームグループ』という団体が自らのイベントに特別ゲストとしてトム氏を招くにあたり行ったものです。ちなみに、オリジナル記事は2014年4月17日にアップされました。

何か、翻訳に誤りなどありましたら、ご指摘いただければ幸いです。以下、記事本文になります。



――ドイツ年間ゲーム大賞は、ドイツ(語圏)のボードゲーム批評家が審査員となり、ドイツ国内で発売されたゲームに対して授与される賞ですが、いまや世界中のボードゲームマニア(hobbyists)の注目を集める存在となっています。この賞がこれほど広く受け入れられてきたのは、どのような理由や経緯によるものだと思われますか?


奇妙かもしれないけど、1つには、マニア(hobbyists)向けにはしなかったからだろうね。この賞のターゲットは、すべての人なんだ。たいていの人はゲームを遊ぶのが好きだし、人と一緒に楽しむのが好きだ。だけど、そういう人でもたいていは、駄目なゲーム(bad games)で嫌な思いをした経験がある。ボードゲーム文化の敵は、コンピュータゲームじゃない。駄目なボードゲームなんだ。お店にはものすごい数のゲームが並んでるけれど、審査員は公正な審査を心がけているよ。大事なのは、独立性、信頼性、そして情熱だね。僕たちは、ゲーム業界外部の人間だ。良いゲームに関心があるだけで、特定の会社や人に遠慮する必要はないからね。今も審査員のメンバーは、この仕事でお金をもらったりはしていないよ。


――ドイツ年間ゲーム大賞のプロモーションのため、訪米されているわけですが、あなたにとって、この訪米を成功させる目標は何でしょうか。


別にドイツ年間ゲーム大賞のプロモーションツアーってわけじゃないんだよ。『ドイツ年間ゲーム大賞』は僕にとって、ビジネスじゃないんだ。プライベートな旅行として、ナイアガラの滝で「Gathering of Friends(※1)」に参加して、あとはカリフォルニアの友達に会いに行く。今回、個人的な旅行には違いないけれど、アメリカのおもちゃ・ゲーム業界の人にドイツ年間ゲーム大賞の背景を説明するいい機会ではあったね。この賞が、アメリカでも注目されるようになって、いろいろな要望をもらうようになってきたんだけど、そういうのを見てると、結構、間違った情報や誤解があるんだよね。だからアメリカでも、より多くの人がドイツ年間ゲーム大賞って実際どういうもので、審査員が何をしているのかを知ってもらえれば、この旅行は「成功」と言えるだろうね。


※1……アラン・ムーン氏が毎年主催しているボードゲームを遊ぶ招待制のイベント。ナイアガラの滝近くで開催されている。


――わたしたちの交流会(※2)以外では、旅行中、どのような時間の使い方をするご予定ですか?

個人的な観光とか、昔の友達とゲームを遊んだりするよ。


※2……「シカゴ トイ&ゲームグループ」が主催するイベント。トム氏は特別ゲストとして招待された。


――ドイツ年間ゲーム大賞のノミネートで紛糾したものを、何か1つ教えてもらえますか?


いや、すまない。できないんだ。審査中の出来事は、審査の中だけに留めておくことにしてる。


けど、一般的な話として、審査で議論になるのは、個々のゲームのテーマに対して、暴力性を懸念する声によるものが多いね。侵略、戦争、暴力、そういうテーマがそもそもゲームを楽しめるテーマなのか、適切なのかという話だね。


――2011年にドイツ年間ゲーム大賞にエキスパート部門(KENNERSPIEL)が設けられました。市場が広がったら、また新たな部門が追加されるようなことがあると思いますか?もしそうであれば、将来的に、どのような部門の追加があり得るでしょうか?


いや、3部門で十分だと思うよ。賞は少なければ少ないほど力を持つんだ。われわれとしては、できるだけ多くの新聞や雑誌に取り上げられたいわけだけど、賞の種類や受賞作品の数が多すぎると、記事を書くジャーナリストにとっては複雑すぎておもしろみがなくなるんだ。こちらもジャーナリストだから、ニュース記事ではポイントをしぼらなきゃいけないことはよくわかってるんだよ。同時に5部門も紹介したらポイントがぼやけてしまう。繰り返しだけど、「ドイツ年間ゲーム大賞」は業界やマニアのための賞じゃない。ゲームを楽しむ、すべての人のための賞なんだ。


1つ言わせてもらえば、エキスパート部門を創設した主な理由の1つは、「ドイツ年間ゲーム大賞」が複雑になりすぎるのを防ぐためなんだ。僕にとって、「エキスパート部門」の黒のポーン(※3)は、赤のポーンの「ボディガード」のようなものさ。審査員はみんな、自分たちも熱心なボードゲーマーで、革新的なボードゲームや複雑なボードゲームを愛している。だけど、そういうゲームって大体の場合、素晴らしいけど大多数の人にとっては重すぎるんだ。「エキスパート部門」が導入される前は、素晴らしいゲームだけど一般の人にとっては複雑すぎる、そんなゲームが大賞に選ばれる危険性が常にあった。「ドミニオン」がまさにそれだ。「エキスパート部門」は、この先、そういうことが起こらないように導入されたんだよ。


※3……ドイツ年間ゲーム大賞のトレードマークはチェスのポーンを模している。赤のポーンはドイツ年間ゲーム大賞。黒はエキスパートゲーム大賞のマークとなっている。ポーンのイメージ画像はコチラ


――ドイツ年間ゲーム大賞としてカルカソンヌが選ばれた2001年からHANABIが受賞した2013年まで、振り返ってみてドイツ年間ゲーム大賞のノミネート作品はどのように変化しているでしょうか。


ノミネート作品は、その年ごとに、あらゆる面で違うよ。傾向のようなものはない。それぞれの年で、市場にどんなゲームが売られているのかによるからね。強い年もあれば、弱い年もある。ノミネートされてなかったゲームも、別の年に発売されてたら、すんなり「ドイツ年間ゲーム大賞」に選ばれることもあるかもね。もちろん、「HANABI」の受賞は、箱のサイズからして、非常に画期的な出来事になった。10年前ならありえないね。小さなゲームが受賞できるようになった、これが一番はっきりした変化かな。


――ドイツ年間ゲーム大賞の審査員はどのようにして選ばれるのでしょう。あなた自身はどのようにして審査員長になったのですか?


民主的な投票の結果だよ。ドイツでも、業界の関係者以外で定期的にボードゲームをレビューして回れるような人間は多くない。だけど、時々、新しい批評家たちが現れて有名になることがある。そうしたら、そういった人たちを審査員に推薦して、そこから現在の審査員が民主的なプロセスを通して選出するんだ。審査委員長も、推薦と投票によって決まるんだ。


――他のおもちゃ・ゲーム業界の賞で、あなたが認めているとかリスペクトしている賞というのはありますか?


僕は「ドイツ年間ゲーム大賞」を「業界賞」だとは思ってない。消費者の方を向いた「批評家賞」なんだよ。僕にとってこれは大きな違いだし、この賞が受け入れられている大きな理由の1つだよね。過去に、他の賞から一緒にやろうと言われたこともあったけど、実現しなかった。なぜなら、多くの場合、僕たちとは独立性に対する考え方や賞に対する哲学が違ったんだよね。僕も他の賞やそれぞれのやり方は尊重してるよ。だけど、正直言って、それって僕らの活動や審議には関係ないことだよ。審議に関係するのは、僕ら自身のゲームプレイだけなんだ。


――これまでドイツ年間ゲーム大賞の審査にノミネートされなかったり、推薦リスト入りしなかったゲームで、個人的に気に入っているゲームはありますか?


「キング・オブ・トーキョー」


――子供の頃のお気に入りのおもちゃやゲームはなんでしたか。


小さな紙に自分でカウボーイやインディアンのキャラクターを描いてね、名前を付けて、切り取るのさ。で、その人形でドラマティックな物語をやる、っていう遊びをしてたね。


――普段の日は何をしているんですか。


僕の生活にいわゆる「普段の日」というのはないよ。僕はジャーナリストだ。犯罪や裁判のレポートなんかの仕事が多いんだけど、旅行や車やゲームについて書くこともあるね。だから「普段の日」って言おうとすると、少なくとも5種類は「普段の日」があるね。1つめは、裁判の傍聴席座っている日。2つめは、情報収集のため人と話している日。3つめは、旅行中。4つめは、ゲームをする日、5つめは、ドライブとか車の試乗をする日。1年365日のうち、家で夜寝るのは150日以下じゃないかな。


――どのような場所で育ち、それは今のあなたにどのような影響を与えましたか?


僕は、カトリックの労働者階級の家庭で育ったんだ。スイスのチューリッヒに近い小さな村(山奥じゃないけどね)で、4人の姉妹と3人の兄弟と一緒だった。そうした環境で、人生で一番大切なことは人間関係だと学んだ。そして、無神論者になったんだ。


――これまで犯した失敗で1つあげるとしたら何ですか。そこから何を学びましたか?


毎日のように失敗ばかりしているよ。例えば、たくさん駄目なゲームで遊んでる。けど、それはやめられないんだ。だって、審査員としてはそういうゲームもやらなくちゃいけないしね。しかもいつも期待に満ちているんだ。そんなだから、何も学んでなさそうでもあるね。


――毎日何を読んでいますか。そして、それはなぜですか?


物凄くたくさんのルールブックを読むよ。あと少なくとも5紙の新聞を読む。それが仕事だからね。


――普段、あなたの役に立っているお気に入りのガジェットやアプリやソフトは何ですか?


ガジェットやアプリやソフトにはあんまり興味ないんだよね。僕はなるべくリアルな体験を心がけている。電子手帳さえ持ってない。いまだに、全ての予定は手書きで書いているんだ。びっくりするかもしれないけど、僕のケータイには一つもゲームアプリは入ってないんだ。


――ここ最近でとても笑ったのはいつですか。それは何ですか?


毎日声を出して笑ってるよ。時には自分に対して笑うこともあるしね。裁判のレポートなんかをやっていると、しょっちゅう死とか運命の厳しさ、悲しみに包まれることになる。こうした体験は普段と異なる大切な感情や人生の美しいところをむしろ楽しむようにすべきだと教えてくれるんだ。


――あなたに発想などで影響を与えているものは何ですか?


人だね。自分の頭で考える人。当たり前だからとか、いつも繰り返しているからとかの理由で愚かなことを信じない人だね。


(インタビュー記事終わり)


■最後に一言

このインタビューを読み、僕自身は審査員トム氏の「素朴さ」を強く感じた。電子手帳を持たず、ケータイでゲームをすることもなく、複雑なゲームからSDJを守るのだと語る彼の姿勢に、若干の違和感を感じた人も多いかもしれない。しかしこうした姿勢こそが、SDJという賞の特徴付けを行っていることもまた確かだろう。


ちなみに、こちらの原文記事にコメントが寄せられている。コメントの主はBruno Faidutti氏(『あやつり人形』の作者であるフェデュッティ氏本人だろうか)。コメント内容を粗く要約すると次のようなものである。


『ボードゲーム文化の敵は駄目なゲームでなく、むしろ良きゲームだ。市場に出回るほとんどのゲームは良いゲームであり、むしろ大量に良作があふれている事の方が問題である。かつてのようにベストなゲームを選ぶことは難しく、大量の良いゲームの中から特定のスタイルを選んでいるだけだ。』


なかなか面白いコメントだ。興味のある方は是非原文にも目を通していただければと思う。



■更新履歴


翻訳について、すばらしいご指摘をいくつかいただいたので、その指摘を元に以下の文言を修正しました。ちょっと分かりにくいですが、修正前と修正後の文言を並べるような形で記します。@EL_CO4twさんありがとうございました!また、@_kazuma0221さんもありがとうございました。

 

【2014.9.1】

(修正前)こうした新たな部門の追加は、市場の広がりに伴うものだと思いますか?

 

(修正後)市場が広がったら、また新たな部門が追加されるようなことがあると思いますか?

 


【2014.8.31】

(修正前)大事なのは、独立性、信頼性、批評への熱意だね。

 

(修正後)大事なのは、独立性、信頼性、そして情熱だね。

 

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(修正前)侵略、戦争、暴力、そういうテーマについて、それがゲームを楽しむ上で必要なのか、適切なのかという話だね。

 

(修正後)侵略、戦争、暴力、そういうテーマがそもそもゲームを楽しめるテーマなのか、適切なのかという話だね。

 

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(修正前)これだけは言わせて欲しいんだけど、エキスパート部門を創設した主な理由は、~

 

(修正後)1つ言わせてもらえば、エキスパート部門を創設した主な理由の1つは、~

 

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(修正前)唯一関係あるとすれば、僕らも同じゲームをプレイするってことだけだろうね。

 

(修正後)審議に関係するのは、僕ら自身のゲームプレイだけなんだ。

 

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(修正前)笑うことは、それらとは異なる大切な感情を与えてくれるし、人生の美しい面を楽しむことを教えてくれるんだ。

 

(修正後)こうした体験は普段と異なる大切な感情や人生の美しいところをむしろ楽しむようにすべきだと教えてくれるんだ。

 

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(修正前)人だね。自分の頭で考える人。そして愚かなことを信じない人だ。愚かなことというのは、当たり前になってしまって、ただ繰り返されてきたことでしかないからね。

 

(修正後)人だね。自分の頭で考える人。当たり前だからとか、いつも繰り返しているからとかの理由で愚かなことを信じない人だね。

2013年1月29日 (火)

【海外レビュー記事翻訳】テーベ(テーベの東)について本当のところ子供たちはどう思っているのか。8歳と10歳の子に訊いてみた。

とうとう発売しました日本語版のテーベ(テーベの東)。

非常に運要素が強い(ある意味ぶち壊している)とも評されるこのゲーム。個人的にはとても満足しています。やっぱり、ゲームというのは「体験」なんだと思います。なので、勝負や協力というのは、あくまでその体験の切り取り方、断面図なのではないかと。そう考えると「運ゲー」と言われるのに、これだけの高評価を得ている点にこのゲームの魅力があるのだろうと。素晴らしい「体験」ができるツール・おもちゃだと思っています。

この記事は、8歳と10歳の子供たちにテーベを遊んでもらって、彼らにインタビューする、という変わった形のレビューです。その記事の翻訳になります。

しかし、子供のからかい方って万国共通ですね。妙に親近感を覚えます。全然別の話ですが「ボードゲーム買いすぎて、奥さんやガールフレンドに怒られるー」みたいな記事もありました。

こういう例を見ると、ギークの生態は、国境や言葉の壁を越えて、共通するんだな、と思います。

また、8歳の息子さんがとっても背伸びして答えているのが微笑ましい。また最後の娘さんのコメントなどは、彼女のドヤ顔が見えるようです。

自分の英語力が未熟なため、子供特有の言い回しみたいなことは分からなかったので、雰囲気を伝えられなかったかもしれません。

ちなみに、「息子」とか「娘」とかの字に色を付けたりしていますが、原文は黒字のままです。翻訳にあたって、一部変更しましました。

何か間違いがあったら、ぜひご指摘ください。

ではでは、以下から記事本文です。

追記(2012.1.29)無事発売されましたので、文頭をわずかに修正しました。また翻訳許可を筆者様から頂いたので、その文言を付け加えています。


Original review in English by EndersGame, translated and reproduced with permission



テーベ(テーベの東)について本当のところ子供たちはどう思っているのか。8歳と10歳の子に訊いてみた。

先週、我が家では、友達から『テーベ』を借りてきたんだ。で、数日間ずーっとこれを遊んでた。このゲームについて、子供たちが本当のところどう思っているか、知りたくないかい?そこで、僕の8歳の息子と10歳になる娘にインタビューをして、このゲームのことをどう思っているか探ってみたんだ。

ここでは、彼らの言葉をそのままに書いたよ。

質問:テーベをこの3日間でどのくらいプレイしたの?
息子:3回
:2回

質問:このゲームの1回あたりのプレイ時間はどのくらい?
息子:1時間。
:たぶん、1時間ぐらい。

質問:テーベは理解するの難しかった?
息子:全然。
:実際は、そんなに難しくなかった。だって、最初にムービーを見たし、それで大体説明されてたから。あと、たいてい、ママが私たちに基本のカードとか、それをどうするのか、教えてくれたし。でね、シャベルとか飛行船とか、分かりにくいカードについては、それが出たときに、ママが説明してくれたの。

質問:このゲームどんなところが一番好き?
息子:発掘をしに行くところ。長くいれば、それだけ多く宝物を獲れるんだけど、何週間そこに滞在するか決めなきゃいけないの。
:一番好きなのは、飛行船。だって、飛行船はとてもかっこいいし、便利だし。その絵が好きなの。

質問:このゲームのどんなところが一番きらい?
息子:ないよ。
:このゲームの一番イヤなのは、ハズレしか取れなかった時。
息子:そうだ。それだ!僕もそれにして。

質問:コンポーネントについては、どう思う?
息子:コンポーネントってなに?
:発掘の文字盤がすごく好き。袋に入ってる小さいタイルも好きよ。それぞれ絵が描いてあるの。あと、それを入れておく袋もすき。それぞれの袋ごとに、それ専用の色のラインが引かれてて、発掘する場所ごとに別々の絵が描いてあるの。それにね、カードも好き。絵が描かれてて、単に"ピンク色の知識カード"ってだけじゃなくて、ちゃんと本の絵が描いてあるの。あと飛行船。あと、発掘のための小さなシャベルもあって、とってもいいの。

質問:テーマについてはどう思う?
息子:いいテーマだと思う。発掘するのすき。
:とってもいいと思う。だって、大体こんな感じでしょ。学校に行って、現場に行って、タイルをとって。そのままでとても分かりやすい。

質問:メカニクスは、このテーマにうまく合ってるかな?(例えば、発掘のメカニクスとか)
息子:とっても。発掘のときには、実際に袋の中に手を入れて探すからね。
:とてもいいと思う。発掘のやり方が好き。袋の中から取り出すでしょ。けど、発掘するのにシャベルの模型とかあったらもっと良かったかも。

質問:このゲーム、運はどのくらい必要かな
息子:すごくたくさん。
:運が必要なのは、袋の中を探して、タイルを取り出すとき。ポイントが高いのが欲しいけど、それはほとんど運だから。パパも言ってたでしょ「おー、それが獲れるなんて、運がいいね!」って。

質問:ある人たちは、このゲームに2点とか3点をつけてるんだ。「運の要素が大きすぎて、それが、このゲームはダメにしている」って。これついてどう思う?
息子:ダメにしていると思わないよ。それが楽しいんだと思う。
:そういう部分はあるかも。けど、そんなに低い点数をつけるのは違うと思う。だってこのゲーム、すごく楽しいんだもん。運の部分も悪くない。10枚も引いたのに、ハズレしか獲れなかったら、それも面白いじゃない。何が出るかなーって期待して、でも全部ハズレでした!って。

質問:遺跡の発掘で、ハズレしか獲れなかったことある?
息子:1回あった。6個もタイルを取ったのに。
:1回。その時は、3つしかタイルを引かなかったから。うん。実際私は、そういうこと全然なかった。

質問:それで、このゲーム嫌いになった?
息子:ううん。だってそこに発掘にいったとき、そこには1つしか宝物はなかったんだから。
:ぜんぜん。ハズレしか取れないのも面白い。「わー、これハズレだ。・・・で、これもハズレだ!」みたいな。

質問:このゲーム、戦略的な部分はどれくらい?このゲーム、みんながうまくやれるようになるかな?
息子:うん。
:ゲームのホント最初のところ、いろんな場所に移動するところはそうだと思う。「もしこれを取ったら、相手は、あれを取るかもしれなくて・・・」って考えるでしょ。ベストになるように、選ばないといけないから。

質問:おススメのお気に入りな戦略とかある?
息子:うん。できる限り発掘に行くんだ。
:少なくとも場に1つシャベルがあるときはいつも、それを取るべきだと思う。ホントにいいのは、たくさんポイントを取るため学会カードを取ること。そして、特別なカード、自動車とか飛行船とかが場にあるときも取った方がいい、いつそれが必要になるか分からないから。あと、一般教養(※)があるときは、2冊あるから、毎回それを取ればいいとは限らない。で、1つの場所でとどまるようにして、あちこち動き回らないようにするの。その場所で取れるものを取ってから、動くようにするの。

※・・・知識カード系のオールマイティなワイルドカード。


質問:このゲームでのお気に入りのカードは何?
息子:エジプトのカード。それに自動車のカード。自動車があると、動き回るのにとても楽になって、たぶんゲームの終わりまでに、たくさん発掘できるようになるから。それに、シャベルのカードも好き、あとは秘密。シャベルがあれば、発掘するとき、さらにたくさんの宝物を獲れるチャンスが増えるから。

質問:これまでの最高得点は?
息子:100点。
:103点。

質問:その時は、どうやって一番得点を稼いだの?
息子:だいたいが宝物で。宝物だけで86点も取ったんだ。
:私は学会だと思う。20点も取ったの。発掘タイルからは、少ししか得点できなかった。

質問:展示会はどう思う?
息子:僕、実際にそれやったことないんだ。それよりも、発掘する。
:とてもいいと思う。チャンスも手に入るし、ポイントを稼ぐもう一つの方法だしね。

質問:このゲームをデザインしたデザイナーの名前はなんでしょう?
息子:どういう意味?
:わかんない。デザイナーってなに?

質問:気になる?
息子:ううん。
:ちょっと。そのデザイナーっていっぱいゲーム作ってるんでしょ。だからそのデザイナーが分かれば、同じようなゲームが手に入るってことかな。

質問:ライナー・クニツィアやマーティン・ワレスがデザインした平均的な作品と比較して、テーベはどうだろうか?
息子:どういう意味?
:よくわかんない。その名前知らないし。どうでもいい。

質問:このゲーム、おススメするならだれにする?
息子:Tさん。
:友達。教会の人。小さい子にとってもいいと思う。あと、Tさんなら大好きだろうね。探索するのが好きな人におススメ。あと発掘するの好きな人も。

質問:大人と子供、どっちに向いてるかな?
息子:大人。
:両方に向いてる。

質問:向いているのは、何歳だと思う?
息子:7歳~15歳。
:7、8歳以上。

質問:じゃあ、15歳より上は?
息子:それでも気に入ると思うよ。

質問:君たちの友達は、このゲームをどう思ってるかな?
息子:好きだと思う。僕の友達の多くは、戦略を立てるのが好きなんだ。このゲームはそういう部分が多いから。
:たぶん好きじゃないと思う。だってちょっと変わったゲームが好きじゃないし。ちっちゃい子供用のゲームとか、カードゲームとかが好きなの。楽しくて短時間で終わるゲーム。長くて壮大なゲームは好きじゃないの。ウノとかは好きだけどね。あれもちょっと変わってるけど。

質問:もしテーベの拡張セットをデザインするとしたら、何を付け加える?
息子:何も追加しなくていいよ。
:拡張セットには、発掘用の小さいシャベルを増やすわ。あとボードにもう一つ場所を増やして、プレイ年数を少し長くするかな。もっと色々手に入れられるように、5年にする。それで、もう一つ色を付け加える。赤色がいいな。

質問:テーベをより良いゲームにするために、他にあった方がいいものってある?
息子:何もないよ。
:もっと年数を長くすれば、もっと刺激的になるんじゃないかな。もっといっぱい獲ることができるし。他には悪いところはないよ。少しぐらい運の要素がないと、全然面白くなくなっちゃうしね。

質問:あるBGGのユーザが言ってたんだけど、このゲームは"ゲームプレイでも楽しさにおいても、モノポリーにすごく似ている"って。これはどう思う?
息子:モノポリーよりも面白いと思う。
:違うよ。うーん、ある意味、1年でボードの周辺を回るというのはそうかもしれないけど、もっといろんな事が起きるから全然違う。発掘できるし。モノポリーじゃ、発掘できないよ。

質問:テーベより好きなゲームは何?
息子:マジック・ザ・ギャザリング。[10秒くらい考えてから、]マジックだけだね。
:私はテーベが一番好き。

質問:このゲームに何点を付ける?
息子:8点。
:10点。

質問:BGGのニコ・ソリタンダーがこう言ってる。「テーベは、一見したところ、見事にテーマを統合した、アブストラクトなユーロゲームのようだ(植民地主義者的な言い方だが)。とても素晴らしい製品であり、美しいゲーム作品である。また、よく使われる伝統的なユーロゲームのメカニクスを持っている。これは、バランスのいい資源と勝利ポイントの獲得を中心としたメカニクスだ。展開が早く、すぐに要領をつかむことができるし、家族で楽しむことができる。とても巧みな要素もある(時間消費システムや歴史的な点で)。しかし、運の要素がとても強い。気軽に日曜の昼に素晴らしいマチネーを楽しむように、リプレイ性も高いゲームだ。10点中7.5フェドラ(※)を付けよう。」このコメントに対して、どう思う?
息子:何も。長すぎるよ。
:大部分、そうだと思う。けど、いくつか難しくて分かんない言葉があったの。けど、だいたいはその通りだと思う。

※・・・『フェドラ』という有名な劇がある。マチネーと掛けているのだと思われる。


質問:今夜またテーベを遊ぶとしたら、やりたい?
息子:たぶん。
:うん。

質問:このゲーム、どのくらいで飽きるだろうか?
息子:だいたい5年くらい。
:拡張セットが出たときかな。その時は、拡張セットが欲しいな。毎日3回ぐらい遊び続けるとかしなきゃ、飽きないと思う。

質問:これ、持ち主の友達に返さなきゃならないんだけど、どう思う?
息子:いやだ。そうするなら、うちも買わないと。
:いやだ。

質問:このゲーム買うべきかな?
息子:そうだよ。いいゲームだし、好きだし。
:わーい。本当にいいゲームだし、買う価値があるよ。最初に遊んでから、買うゲームを決めるのが一番いい。普段から、パパも友達から一度借りてから、決めてるじゃない。

質問:テーベの適正価格はどのくらいだと思う?
息子:10ドル65セント
:35ドル

質問:最後に、テーベについてなんか言いたいことある?
息子:ないよ。だから、遊びに行っていい?
:ないかな。...ああ、1つあった。私、ほんとうにこのタイルの絵が好きなの。例えば、エジプトのタイルだったら、エジプトのモノがちゃんと描かれてるの。一番ポイントが高いのは、ツタンカーメンのマスクなんだけど、これは実際に、エジプトで発見されたものだし、多分いっちばん貴重なものだから、一番ポイントも高いの。


謝辞:我が友人のホモ・ルーデンス氏に感謝する。彼の「タリホー」のレビューで、彼はゲームについて子供たちにインタビューするという素晴らしいアイデアを思い付いた。私のレビューと質問は、彼のアイデアにインスパイアを受けている。もし、この記事を楽しんでもらえたならば、ぜひ、彼のレビューもチェックして「いいね」ボタンを押してあげてほしい。彼の4歳と5歳のお子さんのかわいらしい答えは、爆笑ものの楽しさだ!


↓Ender氏による写真付きレビューのリストは以下のリンク先にあります。興味のある方は是非!

Endergamesimage


【海外レビュー記事翻訳】海外で人気?!の人狼系ゲーム「レジスタンス」レビュー

この記事は、BGGにある『レジスタンス』という正体隠匿系ゲームのレビュー記事です。当初、海外における人狼はどのように評価されているのか?を調べようと思い、色々と記事を検索していました。しかし、僕の英語力では、ちょこちょことBGGを検索するのが関の山。あまり面白い記事が見つけられませんでした。

そこで、視点を変えて他の人狼系ゲームに対するレビュー記事を読んでみたら、逆に人狼について書かれているのではないかと思い、探していくうちにこの記事に行き当たりました。

ただ、読んでみて思ったのですが、この記事はとても長い。

コンポーネントの説明している部分と、ラストでのべた褒め部分は、省略しました。

僕は、そもそも『レジスタンス』をまだプレイしたことがないので、実際に『レジスタンス』をプレイすれば、訳も少し変ってくるかもしれないと思っています。


ところで、この『レジスタンス』。BGGのパーティゲーム部門で、現在(2013年1月12日現在)のところ、9位です(拡張版のアヴァロンは3位!)。『究極の人狼』が8位と少し負けてますが、えらく評価が高いわけです。個人的に興味深いのが評価数です。『レジスタンス』は評価数が"6635"で、パーティゲーム部門では6番目に多い評価数になります。一方、『ミラーズホローの人狼』の評価数が"3986"。『究極の人狼』は"1099"。もちろん人気の度合いが単純に評価数で測られるわけではないですが、本ブログ記事のタイトルにある"海外で人気?!"の部分はそうした背景から記載しました。(人狼の原典である"Werewolf"の評価数が2933で、歴史もありますので、単純にプレイされた量としては、きっと人狼の方が多いのだろうと思います)

ちなみに原題にあります2010年のゴールデンギーク賞パーティゲーム部門は、残念ながら『レジスタンス』は受賞できませんでした。今、日本で話題のあの『テレストレーション』が受賞しています。

ちょうど『レジスタンス』の拡張日本語版「アヴァロン」のニュースがあった事ですし、少し前に訳していたものですが、いいタイミングかと思い本記事をアップしました。(リンク先は、"Table Games in the World"の記事になります)

なお、間違いなどを見つけていただいた方は、ご指摘いただければ幸いです。

では、以下、記事本文です。



Original review in English by EndersGame, translated and reproduced with permission


レジスタンスの紹介


僕たちはみんな、大抵のパーティゲームにつきものである問題を分かっている。そう、だいたい19分44秒くらいまでは楽しいんだけど、そのタイミングを超えると、突然、僕たちは、グアンタナモ収容所の有能なスタッフによる水攻めの方が、このゲームの拷問のような残り時間を過ごすよりも"まし"だと気づく。(そうだよ、クエルフ※1。君のことだ!)マフィアや人狼のように数少ないよく出来たパーティゲームでさえ、問題はあるだろ?例えば、もしゲームの最初の方で脱落してしまったらどうだろう?結局、ゲームに参加できないと、楽しむことはできない。大人数を対象にしていて、みんなをゲームの最後まで参加させ、ルールもとっつきやすく、しかも楽しませてくれる、そんなゲームをデザインできなければ、満足のいくゲーム体験にはならないだろう。もし、そんなゲームがあったら、僕たちは、クエルフやクレニウム※2、ルーザー※3といったパーティゲームの非情な専制からようやく解放されることになるんだ。

※1・・・止まったマスの色と同じカードを引いて、書いてある指示通りのアクションをするというすごろく型パーティゲーム。紹介記事がTable Games in the Worldにありました。リンクはこちら

※2・・・これもクエルフと同じようなお題にチャレンジするタイプのすごろく型ゲーム。紹介記事がTable Games in the Worldにありました。リンクはこちら。というかtgiw.infoのカバー範囲が広くて凄すぎる。以下、ゲーム名へのリンク先は同サイトの紹介記事にリンクを貼ります。

※3・・・このゲームだけ何を指しているのか分かりませんでした・・・


何言ってるんだ?そんなゲームが本当に存在するのか?冗談だろ?そのゲームは何て言うの?レジスタンス?これまでにそんなこと聞いたことない!レジスタンスってつまらないって聞いたことがある、本当にそんなに良いゲームなの?本当に?しかも、知的で洞察力の優れたあらゆるゲーマーが、このゲームを愛していて、何回も何回もこのゲームをプレイしたがっているんだって?うーん、興味が出てきた。その素敵なゲームについてもっと教えてもらえるかな?

いいだろう。レジスタンスは、みんなで話し合って推理するゲームだ。プレイヤーは、自由のための闘士であるレジスタンスか、レジスタンスの作戦を邪魔しようとする弾圧的な政府のスパイか、どちらかの役割を担う。プレイヤー同士は、議論をしたり、騙したり、直観だったりで、敵対勢力のメンバーを暴いて、自チームの勝利を確かなものにする。ポケットサイズの小さな箱の中身は、ほとんどがカードだ。けれど、たったこれだけの小さな箱の中に、信じられないくらいのソーシャルゲーム※4体験の可能性が詰まっている。This is it!このゲームは、最高のパーティゲーム、ソーシャルゲームとして、大人気になる可能性を秘めている。さあ、さらにこのゲームを詳しく見てみよう。

※4・・・本記事では、何回か「ソーシャルゲーム」という言葉が出てきますが、最近日本でも話題のソーシャルゲームとは違って、いわゆる会話型のゲームのことを指すのだと思います。


~以下、コンポーネントや基本ルールの説明を省略~


結論

感想

レジスタンスは高く評価されている。現在(元記事投稿日:2010年12月7日)、BGGのパーティゲームのランキングでは、12位にランクされている。特定のジャンルで、1ダース以内の順位に入ることは、とてもすごいことだ。発売されてから、これほど早く受け入れられたことも注目に値する。さらに評価数が増えても、現在の平均点を維持できれば、人狼やタンブリンダイスのようなすでに確立されたパーティゲームを追い越すだろう。少なくとも、ウィット&ウェイジャーやピッチカーのような名作の成功に匹敵するポテンシャルは持っている。もちろん、これらのゲームにはそれぞれの長所があるが、この小さな箱にも関わらず、レジスタンスがこれらの大作に太刀打ちできないわけではないし、じきに同じくらい大人気になる可能性を秘めている。僕らは来年のゴールデンギーク賞のパーティゲーム部門で、このゲームが健闘するのを目撃することになるだろう。

レジスタンスは、ソーシャル性の高いゲームだ。とても偉大なソーシャル・インタラクティブゲームだと言うだけでは十分ではない。公平を期すために言えば、このゲームの真価を発揮させるためには、いいメンバーを揃える必要がある。しかし、社交的なことや他人との交流(それはしばしば大声になったり、相手を非難するものかもしれないが)が大好きであり、多少の議論や騙し合いに怖気づかないゲーム仲間がいるならば、これは確実にコレクションの一部となるべきゲームだ。これを初めてプレイした夜、僕たちは立て続けに3回もプレイしてしまった。しかも4回目をやりたいという要望がたくさん出るほどだった。まだ真夜中を過ぎてなかったので、その要望は叶えられることとなった。多くの絶叫があり、たくさんの感動的で心からの懇願があった。きっとそれはスパイじゃない誰かの弁解だったろう。そして、山盛りの裏切りと少なくない芸術的な嘘。僕たちは断然、このゲームが大好きだけど、おそらく長くプレイされる間に、いろんなプレイがありえるだろう。この点においては、シンプルだけど本当にお勧めのゲームだ。

レジスタンスは脱落者がいない。レジスタンスは脱落者がいない。人狼やマフィアよりもこのゲームがいい点として、みんながゲームの最後の最後まで残ってプレイできるという点がある。誰も脱落することがないから、他のみんなが楽しんでいる間、ソファーの後ろで黙ってなければならないこともない。ゲームから独立したゲームマスターも必要がない。みんなが最初から最後までゲームに参加できる。これは素晴らしい長所だ。その点において、レジスタンスは人狼よりも優れている。

レジスタンスには推理するための手がかりがある。人狼は素晴らしいゲームだ。実際、僕のお気に入りの1つなんだから。けれど、人狼ではしばしば話し方やレトリックの不足を理由に脱落させられ、告発され、無実の村人が感情的な理由で処刑されたりする。レジスタンスは手がかりとなるデータを与えることでその点を改善している。メンバーの選定に賛成か反対かとか、ミッションを失敗もしくは成功させたチームのどちらに参加していたか、などのデータだ。たいていの場合、このデータだけで、誰がスパイか分かるわけではない(仮にそうだとしたら、このゲームは単なるパズルになってしまう)。しかし、このデータは、プレイヤーにとってレトリックを構築したり、議論や告発をするのに役立つものになる。十分な情報ではないけれど、このタイプのゲームでは必須となるプレイヤー間の議論や討論の土台を提供してくれる。この点が、レジスタンスのリプレイ性を高めている。というのも、口うるさく人格攻撃を繰り広げるようなプレイヤーを当てにすることなく、誰が何に投票したか、なぜ投票したか(これはプレイする度に変わる)という議論に参加できるからだ。

レジスタンスは緊迫感のあるゲームだ。多くの場合、だれがどちらの陣営に属しているか完全に判明させるのは物凄く難しい。最後の投票とミッションに至るまで、全員が意味のあるゲーム参加が可能だ。各ミッションにおける人数を注意深く計算していっても、しばしば、勝利チームが決定しないままゲームは最終ラウンドまでもつれこむ。本当の緊張感は、スパイかレジスタンスのいずれかが何とか2回それぞれミッションを失敗か成功させている時(もしくは両陣営が2vs2になっている!)時にやってくる。最後のミッションは、レジスタンス側の勝利がかなり固いはずだ。プレイヤーが自分がレジスタンスであると信じてほしいと主張し、懇願するとき、このもっとも心動かされる嘆願がなされるときこそ、この緊張感が面白いものになる。

レジスタンス側は勝つのが難しいという面がある。レジスタンス役というのは本当に、本当に難しい。皮肉にも、効果的で情熱的な自由のための闘士としての役割を演じれば演じるほど、他人に実際はスパイなんだろうと思わせてしまう。とはいえ、口数少なく、冷静に振る舞えば、簡潔で論理的なその振舞いがスパイ側の冷酷な行動のようにも見えるだろう。これは、連続して何回かプレイするほどに、どんどんと発展していく魅力的でダイナミックなメタゲームでもある。-だから、あるゲームでスパイとして上手くいった行動があっても、次のゲームではそれが失敗の原因となることがある。なぜなら、その行動や一連の動きは、他のプレイヤーからすると、それより前のゲームで、その人自身がどう振る舞うかを示すものとして理解されるから!これは素晴らしい悩ましさだ!

このゲームは少し面倒だ。言っておくが、これはとても小さな不満でしかない。けれど、ミッションカードの取り扱いはやっぱり少し面倒なんだ。このゲームでは、2つの山を作る。1つは、その時のチームが選んだミッションカードの山。もう一つが、そのチームが捨てたミッションカードの山だ。誰がそのミッションカードを出したか分からないように、両方ともシャッフルしないといけない。気をつけなくちゃいけないのは、カードの裏面のデザインが"非対称である"ということだ。例えば、ある記号がカードの半分側だけにあると、シャッフルしても他のカードと反対の方向に置いたことを誰かが覚えていれば、誰が、そのカードを出したか分かってしまう場合がある。僕たちも、避けられない問題ではないけれど、よりいい方法はないだろうかと思っている。ミッションカードを集めたり、配ったり、シャッフルしたりする専任の人を誰かにお願いするというやり方もあるが、これも部分的な解決方法で、完全に満足のいくものじゃない。まあ、いずれにしても、これがこのゲームで一番の問題ともいえる些細な問題であって、大きな不満ではないのだけれど。

レジスタンスは理解するのが簡単だ。ゲームのやり方は簡単に教えられるし、すぐに初心者の人ともプレイすることができる。少し年齢の上がった子供であれば、なんとかうまくできるだろう。僕たちの経験では、8歳の子だとルールは理解できるけれど、プレイにおける微妙な部分で難しさがあるようだ。少し推理する要素があるからだろう。一方で、10歳以上であれば、ちゃんとプレイできる。これまでいろんなタイプの人、ゲーマーや非ゲーマーともプレイしてきたけれど、どんな時もこのゲームはウケたね。

プロットカードはいい追加要素だ。大人数でプレイする時、よくレジスタンス側には不利な状況になる場合があって、スパイがいないミッションチームを組むのが難しくなる。プロットカードは、参考となる追加情報をプレイヤーに与えることで、この問題を解決する。スパイ側は既に、誰が敵味方かを知っているが、この追加情報により、レジスタンスチームも誰がスパイかを発見する手がかりを得ることができる。良いのは、このプロットカードによって、ゲームが複雑になるわけではないという点だ。レジスタンスを初めてプレイする人がいても、いきなりこのカードを使うことができる。僕たちは7人以上でプレイする時は、必ずこのカードを使うようにしていたが、そうしないと、レジスタンス側が勝つのはかなり難しくなってしまうからだ。

レジスタンスは人狼と比べても勝るとも劣らない。今の時点で、僕らは人狼よりレジスタンスの方が好きだ。まず1つ目の理由として、脱落プレイヤーがいないという点。2つ目は、推理につかえる実際のデータがあるという点。3つ目は、5人という少ないメンバーでもプレイできる点。もちろん、人狼は10人以上でもプレイできるという利点があるし、今でも大のお気に入りであるという点は変わらない。けれど、10人以下の場合だと、レジスタンスを選んでしまう。何回となくこのゲームを遊んだ人がいるけれど、繰り返しプレイしても問題ないようだ。このゲームを知れば知るほど、飽きてくるのではなく、むしろプレイ経験が改善していってより高いレベルになっていくようだ。

このゲームは偉大なシリーズに連なるものだ。これについては、「インディ・ボード&カード」というパブリッシャーに関して、若干述べないといけないだろう。この会社は活動的なBGGerであるトラビス・ワーシントンが経営しており、彼がもっと多くの人に評価されるべきだと思うコンパクトな自費出版ゲームを販売している。まだまだ小規模で、パブリッシャーとしては比較的新しい会社にも関わらず、BGGの最新の話題においてたびたびインディ社の名前が登場している。レジスタンスは、ポストカードボックスシリーズというゲームの1つだ。これは、最近だと、ハギスや三頭政治をリリースしているシリーズでもある。両方のゲームとも相応の大きな注目を得て、早くから好意的なレビューを獲得した。

多くの期待のゲームを作っているということだけでなく、「インディ・ボード&カード」社には実に注目すべきことが1つある。それは、単にゲームを作る人への奉仕活動としてではなく(トラビスは、確かに我々に共通する趣味を愛するゲーマーではあるが)、本物の社会的良心を伴ったビジネスをしている点だ。販売されるあらゆるゲームの最初の立ち上がり時には、「インディ」の人たちは、ヘファー・インターナショナル※5という組織に収益のうちの1ドルを寄付することを誓約している。この組織はアメリカやヨーロッパや第三世界での持続可能な発展を目的とした活動を行う組織だ。慈善事業に寄付するために、自分の収入となるわずかな利益をさらに削る、そういった心意気にこそ本当に注目すべきだ。さらにそのようなやり方で、レジスタンスのような優れたゲームを製作している点も、より注目に値することだ。

※5・・・世界の貧困や飢餓への支援を目的としたアメリカのNPO。公式サイトはhttp://www.heifer.org/


~以下、他の人の評価の紹介(べた褒め成分多し)は省略~


↓Ender氏による写真付きレビューのリストは以下のリンク先にあります。興味のある方は是非!

The complete list of Ender's pictorial reviews

Endergamesimage


2013年1月14日 (月)

【コラム】誤訳?意訳?なぜ「テーベの東」はテーベの「東」なのか?

つい最近『テーベ(完全日本語版)』を買って、1つ楽しみにしていたことがある。それは説明書に、「なぜテーベの『東』なのか?」についてヒントとなる説明があるのではないか期待したのだ。しかし、今回発売された日本語版「テーベ」の説明書を見ても「なぜかつてテーベの東と言われていたか」は、分からなかった。

日本では、特にネットの世界においては、ずっと「テーベの東」というタイトルでこのボードゲームは語られてきた。しかし、日本語版として発売されたタイトルは、「テーベ」である。2007年発売の新版「テーベの東」の英語版タイトルが"THEBES"であるため、日本版はそれに単に合わせただけだと思うのだが、そもそもなぜタイトルから「東」がなくなったのか知りたかった。

あまり考古学というか古代エジプトの歴史に関する知識がないので、Wikipediaの記事が頼りになるぐらい。記事によると、「テーベは古代エジプトの都市の名前。場所は現在のルクソールに位置しており、ナイル川東岸、地中海から約800km南方に位置する(要約)」とのこと。

現在のルクソールはナイル川を跨る町のようだが、そもそもテーベはナイル川の「東」岸にある。いわゆるエジプト遺跡で最も有名な王家の谷などは、テーベの西側、ナイル川を超えて西側に位置しており、テーベの「東」側には、あまり有名な遺跡がないような気がする。

もう1つエジプトで有名なルクソール神殿は地図で見ると、ナイル川のすぐ東岸にあり、これは「テーベの東」というよりも、「テーベ」であるように思う。

そして、当初から気になっていた原題の"Jenseits von Theben"。東を意味するドイツ語はもっと英語のEastに似ていたような気がするなあ、と微かには思っていたのだが、ドイツ語なぞ彼方昔に忘れてしまった自分が、単に知らない単語なのだと思っていた。

改めて、ドイツ語の辞書を15年ぶりぐらいに引っ張り出して調べると、"Jenseits"には「東」の意味なんかなさそうだ(三省堂のCROWN参照)。英語で言うところの"beyond"に該当する。"jenseits von ~ "で、「~の向こう側」を意味するようだ。ちなみに「東」はドイツ語で"Osten"だ。

参考として、2010年発刊の『ボードゲーム・ジャンクション』には、「テーベの東」ではなく、「テーベ」という名前で紹介されている。

ふむ、だんだん見えてきたような気もする。で、結局いろいろと調べたが、BGGで見つけたこのフォーラムでのやりとりが、一番正解に近いのではないだろうか。以下、質問者とベストアンサーとも言える回答のやりとりのみを訳す。



フォーラムタイトル:この名前の意味は?

質問者:

このゲームの名前の意図を解明しようとしてる。最後の部分は分かるんだ。「テーベの」もしくは「テーベからの」ということだろうけど、"Jenseits"(訳注:英語でBeyondに該当する語)って、ここで悩んじゃうんだ。


"http://dict.leo.org/"(辞書サイト。便利なんだ)でも調べたんだけど、どの訳もここではしっくりこないんだ。僕が考えたなかで一番よさげなのは、「テーベの彼方」(Beyond Thebes)、「テーベの向こう側に」(On the other side of Thebes)あたりだと思うんだけど。

これって正しいのだろうか。もしくは、ネイティブのドイツ人であれば、このゲームのタイトルとしてもっと適切な訳ができるのだろうか?なにか見落としている気がして・・・・・・・。

Jay Tummelsonが、英語版も多言語版も、"Jenseits von Theben"と呼べばいいのにねって言ってたから、多分翻訳できないんじゃないかな。


回答者:

ドイツ語の聖書で、アダムとイブが楽園から追放されて後に彼らが落ち着いた場所を指す言葉として通常「jenseits von Eden」が使われている。だから、スタインベックの小説の訳は、ドイツの聖書を引用しているのだろう。たぶん、この数十年で訳は変わっても、その小説の題名だけがそれとして残ってしまったんではないかな。

ところで、この名前はバカっぽいけど、いいゲームだよね。



フォーラム記事の引用は以上。

で、ここからは僕の推測も入るのだけど、上記のフォーラムでの話から、次のように解釈した。

①スタインベックの小説およびそれを原作とするジェームス・ディーン主演の映画「エデンの東」。これがドイツ語訳されたときに、タイトルとして"Jenseits von Eden(エデンの彼方)"が採用された。で、これはフォーラムの話を信じれば、聖書のドイツ語では、追放先としての「エデンの東」を指す。そこを典拠として、この名前が翻訳として当てられた。

②ボードゲーム「テーベ」がリリースされて、そのタイトルが"Jenseits von Theben(原題)"とあるのを見て、英訳者は、映画や小説の「エデンの東」がドイツ語で何と言われているかを知っていたか、調べている中で知ったのだろう。

③小説・映画「エデンの東」のドイツ語訳は"Jenseits von Eden"とあり、ゲームと同じ"Jensits"が使われていた。
そこで、英訳として"East of Thebes"(テーベの東)というタイトルを当てた。(ここで間違った!)

④その英訳を参考に日本でも「テーベの東」と呼ばれることになった。

上記のとおり、ドイツ語から逆輸入して英語に翻訳するところで誤訳した(②→③)、というのが実態ではないだろうか。

「テーベの東」というタイトルがちょっと気に入っていただけに、「の東」が無くなってしまって当初は少しさびしかったが、まあ、これはしょうがないのだろう。日本語版の元となっている2007年の新版の英語版パッケージにもデカデカと"THEBES"となっている。こうした事情が背景にはあったのだろう。

どなたか実際のところの事情を知っている方がいたら、教えてほしい。また、上記の訳の間違いがあれば、是非指摘ください。


追記(2013.01.16)

その後、いろいろと考えるところがあり、記事タイトルと冒頭文章を若干修正した。また上記記事では、単に「間違った!」としている部分も、もしかしたら意訳かもしれないと考えた。その理由について追記したい。

ドイツ語の"Jenseits von Theben"を英語の"East of Thebes"と訳したのは、意訳かもしれないと思った理由。

①ゲーム内容自体が、テーベとほとんど関係ない
 「テーベ」は発掘ゲームだ。発掘場所は5か所あり、そのうちの1つがエジプトだ。そのエジプトは確かにテーベに関係しているが、残りの4か所はテーベと全く関係ない。ボード上やカードの類にも、一切「テーベ」という言葉が出てこない。

②ドイツ語の"Theben"が"Eden"と韻を踏んでいる
 「テーベ」は英語だと"Thebes"であり、"Eden"と似ても似つかないが、ドイツ語だと"Theben"である。単純にこの語だけ比べると、ドイツ語でも似ているわけではないが、"Jenseits von Eden"と"Jenseits von Theben"とで比べれば、これは明らかに韻を踏んでいる。

③とても馬鹿っぽい
 「テーベ」というゲームは、ゲームプレイ自体がとてもバカっぽいのだ(良い意味で)。発掘運1つで、勝敗が二転三転する。生真面目な思いで、「テーベ」という言葉を取り上げていると思えない。(超なんとなくな理由)

上記3つの理由から、ドイツ語原題である"Jenseits von Theben"というタイトルは、「エデンの東」のもじりとして付けたと思う。で、その「言葉遊びである」という意図を重視するならば、"East of Thebes"という訳の方が、タイトルをつけた人の意図を「より汲んでいる」と言える。単に学術的に不適当だ、ということなど取るに足らない瑣末なことだ。

それゆえ、「テーベの東」は愛すべき意訳としても解釈できる、と思った次第だ。

なお、事実の真偽についてはとても知りたいが、どちらでもいいかもなーと思っている。いろいろと考えたり、調べたりできて楽しかったことを感謝したい。アドバイスいただけた方、ありがとうございました。


追記(2013.01.22)

タイトルの「なぜ」が重複していたので、修正。ラストの文言をちょっとだけ修正。

2012年11月29日 (木)

【海外レビュー記事翻訳】スペースアラート - 異なる次元のゲーム

話題になっている「スペースアラート日本語版」。溢れる期待感やワクワク感に刺激されて、BGGに投稿されていたあるレビュー記事を翻訳しました。実際はかなり長いレビューで、コンポーネントやルール内容についても記述があるのですが、前半の「ルール(RULES)」に対する感想と、後半の「評価(EVALUATION)」以降の部分を訳しました。

ルールの内容説明は、できれば、本物のルールを見ていただくのがいいかなあ、と思ったので、省略しました。(ウソです。訳すの面倒だっただけです、すみません)

協力型ゲームが大好きな自分としては、若干キワモノっぽいこのCDを使う仕組みが気になってしょうがありません。なによりも協力型ゲームにおける奉行ソロ問題を、「忙しさ」によって解決しているというところに期待を持っています。

原文はこちらの記事"Space Alert - a different game dimension"書かれているのは、Paolo Ciardulliさんという方です。

元記事のレビュアーの方は、いわゆる重量級ゲームが大好きだと自認しています。そんなレビュアーがめちゃくちゃ面白かった、と言っているところが大変興味深い。

記事の最後で、「もしリプレイ性に問題があったら、10点満点から9点に点数を下げるかもしれない」とレビュアーは言っています。果して4年たった2012年現在、彼の評点は下がっているのでしょうか。実際にそれはBGGのこちらのページでご確認いただければと思います。(合わせて、このレビュアーがどんなゲームを好んでいるのか、と言う点も見ていただければと。)

さて、毎度ですが、何かしら間違いがあったら、教えてください。目標はクリアしたようですが、さらに多くの人がプレオーダーしてもらえることを祈って。

以下、記事本文です。

スペースアラート - 異なる次元のゲーム


~(略)~

■ルール

多分このゲームは、"重量級"のゲームだと思われるだろう。でも、実際にプレイしてみると、そんな感じを受けない。ルールブックは、とてもよくできていて、段階的に理解していくことができるし、新たなルールや別の難易度を始めたりするのにも、とてもいい。ルールブックには"レッスン"というのがあって、舞台となる宇宙船がどういうものか説明するためのものもあれば、プレイヤー(いや、失礼、クルー)がその宇宙船で何ができるかを知るためのものもある。それから、訓練用のミッションもある(これは、危険な宇宙空間でクルーが体験することになるミッションを、コンピュータ上でシミュレーションしている、という設定だ)。いずれにしても、これはファミリーゲームじゃない。ゲーマーのためのゲームだ。少なくとも、僕はゲーマーとプレイした。面倒な非ゲーマーやおじいちゃんとかに、なんとか説明して理解してもらえる自信はないし、そうしようとも思わない。(けど、絶対無理だって言いたいわけじゃない、うまく行かないだろうって思うだけだ)

ここで、詳細なルールまで説明をするつもりはない。もし興味があるなら、ここ(訳注※1)からルールブック(それとCD音声も)がダウンロードできるし、他のコンポーネントも一緒に見ることができる。(ぜひ、ルールブックを読んでほしい。強くおすすめする、というか、このゲームをプレイするつもりがなくても、読んだ方がいい。押しつけがましくて申し訳ない。でも、ホントに面白いから)

※1・・・リンク先がNotFoundになっていたため、この翻訳記事ではリンクを貼っていません。

あと、僕もいくつかレビューを読んだけど、このゲームの感想を読むのが、ルールを読むより更にずっと楽しい。レビュアーたちの感じたこと、そういう感想に僕は飢えている。...そう、君にも僕のようになってほしいんだ。

~(中略)~

■評価

スペースアラートは、"普通"のゲームじゃない。これは異なる次元のゲームだ。つまり、独創的で、先駆的なんだ。先駆的というのは、今までにない新しいメカニクスやアイデアを使っている、とか、以前からあるメカニクスやアイデアを新しい方法でうまく利用している、ということだ。僕は先駆的という言葉で、読者も良く知っているケイラスのような、ある種のゲームの代表になるってことを言いたい。

ケイラスは、ワーカープレイスメントゲームだ。ケイラスより前にも、同じようなメカニクスを持ったゲームがあったという事をどこかで読んだことがある。けれど、その使い方の見事さで、ケイラスは先駆者となった。このメカニクスを見事に活用して、素晴らしいゲームとなったんだ。だからこそ、ケイラス以降、多くの他のゲームがケイラスが切り開いた道をたどろうとした。(あの有名なアグリコラもそうだ)。しかし、ケイラスこそ、このメカニクス(を見事に利用したゲーム)の原型と言える。僕から見れば、スペースアラートも全く同じだ。スペースアラートは他のゲームからアイデアを頂いている、とか色々と書かれているのも読んだ。個々のアイデアが、独創的であろうとなかろうと、協力型ゲームに時間制限を付けるとか、イベントの到来をCDを使って伝える、とか、こういうすべてが、単に寄せ集めでなく、全体としてちゃんと統合されている。オリジナルじゃないというだけで、これは素晴らしいゲームなんだ。このゲームで、プレイヤーはこれまでに味わったことがない全く新しいゲームプレイを体験するんだ。今こうしてレビューを書いているときにも、仲間の一人が、僕と同じように10点満点をこのゲームに付けてコメントしている。そこには「つまりは、今までとは違う何か!!!」って書いてある。そう、そうなんだ。僕らの趣味は、常にこれまでと違う方向に向かっていくことを求めている。そういう意味で、このゲームは、まさしく、それをしてくれているんだ。

プレイ人数について。今のところ、僕は5人プレイしかやっていない。実際に体験していないから推測になるけれど、このゲームが最適なのは4人か5人だと思う。3人や2人そもそも1人でも、プレイすることはできる(3人以下のときは、アンドロイドのクルーを使う。自分のキャラクターに加え、ロボットに命令をするような感じだ)

けれど、人数が少なくなると、複数のプレイヤー間のやりとりが更に失われてしまう。そして、このやりとりこそがこのゲームを傑作に押し上げている要素だから、3人ならまだOKだろう。でも、このゲームを協力型ゲームとして本当に楽しもうと思ったら、僕は2人以下ではやらないだろう。(複数プレイヤーの協力型ゲームでは、テーマをうまくシミュレーションするというのは、あくまで手段であって、目的じゃない)

プレイヤー間の絡みについて。このゲームは純粋に絡みのゲームだ。これほど、プレイヤー間で絡みあうゲームを僕は他に知らない。絡みといっても、他のプレイヤーを攻撃するというのではなく、助けたり、助けられたりするんだ。このゲームでは、必ず他人の助けが必要になるし、一人では勝つことができない。完璧なプランを立てている時間はないから、(他の協力型ゲームで起こるような)他プレイヤーをおとなしく従わせるようなこともできない。説明して、他人に耳を傾けて、直面する個々の問題に対処していく必要がある。絡みと言う要素については、10点満点以上の点数をあげたい。

面白さの要因....。うーん。ここまで忍耐強く僕のレビューを読んでくれている人には明らかだろうけど、僕は、このゲームがとにかく楽しいと思っている。これは面白くて、面白くて、とにかく面白いんだ!じゃあ、質問だ。洗練されたリソース管理ゲームが好きなゲーマーは、どういう理由でスペースアラートのようなゲームをするんだろうか?僕には分からない。けれど、僕はこのゲームが、全てにおいて大好きだし、それは面白いからなんだ。

スペースアラートは、あらゆる場面で、僕が好きなタイプの面白い選択、自分たちが自由に使える資源を如何に最適に使うか、というような選択を迫ってくるんだ。(たいていは、最適な道を選んでいるような時間も平穏さもないけどね)

プレイ時間は、30分以下だ。ちょっとした合間にこのゲームをやることもできる。
.....いや、合間になんて無理だ!このゲームは1回だけやってそれで終わりなんて、僕には想像できない。どんどん時間を使ってしまう!いずれにせよ、通常シナリオの上級用ルールもある。同じ宇宙船だけど、部分的に繰り返しダメージをくらった宇宙船をそのルールでは使うんだ。(これは90分以上かかる。僕はまだやってないんだ)

リプレイ性。この部分だけは、このレビューでカバーしきれない部分だ。僕もこの点に意見できるほど、プレイを重ねていない。確かなのは、色んなミッションがいっぱいあるってこと。CDには、かなりたくさんのトラックがあって(多分実際にプレイされる以上にはある)、でも、同じトラックを何度も使ったとしても、発生する脅威はランダムだし、他にもバリエーション(軌道、アクションカード、ダメージ、など)がたくさんある。だから、それぞれのミッションは、常に他と違うものになるはずだ。僕の関心は、むしろプレイ自体にある。チームが同じ行動パターンを取り始めたら、それは、しばらくすると機械的な行動となってしまうだろう。しかし、僕はそういうことが起こらないんじゃないか、と思っている。ただし、注意してほしいのは、僕がこうしたことは起こらないって確信を持てるほどにはプレイしていないってことだ(僕は楽観的にそうならないだろうと思っている)。いずれにしても、例えそういう事が起こったとしても、多分、チーム(もしくはチームの一部)を変えたりすれば、また新鮮にこのゲームを楽しめるんじゃないかと思う。

■最後に

僕はこのゲームが大好きだ。あらゆるゲーマーにお勧めする。これをやらないのは、ゲーム界における1つの節目を知らないことになる。僕はスペースアラートに10点をつける。リプレイ性に問題があると分かったりすれば、9点に落ちるかもしれない。けれど今は、これが一番遊びたいゲームなんだ!

2012年11月17日 (土)

【海外フォーラム記事翻訳】なぜ、協力型ゲームはクソなのか?奉行問題があるからだよ!

協力型ゲームで、経験豊富な1人のプレイヤーによりすべてが仕切られてしまう状態。いわゆる奉行(ソロ)問題。これって海外ではどのように語られているのだろうかと思い、BGGで調べていて見つけたのが、この記事です。原題は"Why co-ops suck? Leader problem, man!"書いているのは、『ロビンソン・クルーソー:呪われた島の冒険※』のデザイナーである"Ignacy Trzewiczek"さんです。この記事へのリンクもあるIgnacyさんのWebサイトはこちら

※・・・原題は"Robinson Crusoe: Adventure on the Cursed Island"

このゲーム自体、今年の新作の中でも、特に期待しています。し、しかし、言語依存度が高いそうで、日本語版が出てくれないと、自分のような英語が未熟な人間には楽しめなさそう・・・

ただ、日本語版の発売をひたすらに待つのも寂しいので、このワクワクを原動力に、またまた英語の勉強がてら、本記事を訳してみました。うーむ。最後の一文だけ、どうしてもよく分からなかったのですが、とりあえずアップしてしまえ。えいっ!

何かお気づきの点があったら、ぜひ教えてください。では、以下から記事の本文になります。


『なぜ、協力型ゲームはクソなのか?奉行問題があるからだよ!』


この前、「自分が勝てない問題」について話したけど、それは小さな問題だ。問題と言っていいのかさえ怪しい。じゃあ、大きい問題って?協力型ゲームにおける大きな問題とは?それは、奉行問題!そう、これ。多くの人が協力型ゲームで遊びたがらないのは、これが理由だ。

奉行問題

奉行問題とは、協力型ゲームを遊んでいるときに、1人のプレイヤー(これを仮にジョンとしよう)が、他のプレイヤーにどう動くべきか指示するようなる状況になることだ。みんな勝ちたいし、全力を出すし、こうすべき、というアイデアがあるはずなんだ。でも、ジョンは、他の人たちに、自分のやり方が一番だってことを説得しようとする。みんなが彼の計画に従って、彼に耳を傾けるべきだと主張する。自分のやり方を押し付けようとするんだ。

これはムカつくし、イライラする。欲求不満と怒りを感じるし、楽しくとも何ともない。終わった後、もう二度とジョンと遊ぼうと思わないだろし、このゲームで遊ぼうとも思わない。そして、協力型ゲームも金輪際お断りだと思うだろう。

場合によっては、ジョンに問題があるのかもしれない。でもこれは、そもそもそういう問題なんだろうか?ジョンは確かにクソ野郎だ。彼がゲームを台無しにした。他人の意見を無視して、みんなに自分のやり方を押し付けた。ジョンは、身勝手なバカだからね。このゲームの出版社がゲームの箱の中に銃を入れておいてくれないから、こういうジョンみたいな奴をなんとかしないといけないし、問題を解決することもできないんだ。

だけど・・・

ほとんどの場合、ジョンが悪いわけじゃない。彼がクソ野郎だから、こういうことになってるわけじゃあないんだ。これは、協力型ゲームがクソだからだ。そういう単純な話なんだ。

三目並べ

じゃあ、実際に例を挙げてみようか。僕らは今、三目並べを遊んでいる。まだゲームの途中だ。僕らのチームは、○担当だ。以下の図に示すような状態だとする。

Tic_01

僕は、今までたくさん三目並べをしてきたけど、今日は、メチャすごい事を思いついた。「ここに○を置いたらどう?。これすごくない。見てよ!」って、僕は、3つ目の○を置きたい場所を以下のように示す。

Tic_02

けど、チームメイトのアンは納得しない。彼女は、別のアイデアを持ってる。以下のように、3つ目の○を置いて、逆向きになったLみたいな、クールな形にしたいからだ。

Tic_03

ジョンが僕らを見つめている。今聞いたことが信じられないようだ。「おまえら、トチ狂ってんのか?」僕とアンに向かって怒鳴り始めた。「ここに○を置くしかないだろうが!ここ!でないと、負けるだろ!そうだろ!?」と言って、彼は、以下のように、3つ目の○を置くべき場所を指した。

Tic_04

僕とアンは、しばらくブツブツ言っていた。ジョンのことをバカだと僕らは思ったけど、最終的に僕らは賛成した。彼が正しいと分かったからね。ったく、クソが。

ここで、問題だ。ジョンがアホなのか、それとも三目並べが単に協力型ゲームじゃないってことなのか?

三目並べは、答えが1つに決まっているゲームだ。相談や議論をする余地が全然ない。協力したり、互いに素晴らしい方策を探し出したりする機会はない。答えが決まってるんだ。たった一つの最適解があって、他の案は全部ゴミ箱行きだ。

だから、協力型ゲームはクソなんだ。だから奉行問題が起こるんだ。奉行 - ジョンは、正しい答えを知っている。彼は、何回もプレイしてて、経験もある。彼が、ボードを見れば、それは、三目並べのように見えるんだ。だから、自分のやり方を押し付ける。彼が、身勝手野郎だからじゃない。彼が答えを知ってるからだ。協力型ゲームは、答えが決まっているからなんだ。三目並べに比べたら、そりゃあ、協力型ボードゲームには、立派なイラストとか、面白そうなテーマとか、洗練されたルールとかあるかもしれないけど、結局は同じなんだ。

根本は、三目並べと同じ。単なるパズルなんだ。

だから・・・

僕には、「ロビンソン・クルーソー」の箱に、この問題を解決するために、銃を入れておく勇気はなかった。正直なところ、以前から奉行問題は全くジョンのせいじゃあないと確信していた。今は、協力型ゲームは答えが決まってる、ってとこに問題があるのだと信じている。

そして、僕がロビンソン・クルーソーの仕事に取り掛かったことを知ってるだろうから・・・・
[続く]

2012年10月27日 (土)

【海外レビュー翻訳】200戦してドミニオンについて思うこと

海外のボードゲームサイトBGGを見ていて、見つけたレビューの翻訳です。自分は、最近ようやくドミニオンを購入してプレイしました。やっぱり面白いな、と思うと同時に、システムに感心しました。くるくると回転するデッキは、何かを生産する『ものづくり』的な喜びがあります、そっと何かを大事に温めるような。
このレビューは、いっぱいドミニオンをやりすぎて、その欠点にもちゃんと注目しているのが、なかなか良いです。一つの記事に長所と短所が明確に分けて記載されているレビュー記事というのは貴重かなと思います。
なお、自分のドミニオンレビューは執筆中です。

原文は、こちら"Dominion after 200 plays"。

では、以下レビュー本文記事です。誤りなどあったら教えてください。(結構あると思うので)


200戦してドミニオンについて思うこと

今年(訳注:2008年)のエッセンで一番話題になったのは、ドミニオンだ。クールな奴らは、みんなこれをプレイしている。ふつう、こういうゲームは、ゲーム界におけるお前らのような特にクールなエリートどもだけのものなんだ。分かってるだろうけど、お前らってのは、ドイツのビザスタンプとエッセンのギークリストを持って、「ダックディーラー(訳注※1)」や「ル・アーブル」を隠し持ちながら、バトルスター・ギャラクティカのNumbe6(訳注※2)を見せびらしてるような奴らだ。けれど、ドミニオンは違った。これは発売とほぼ同時にBSW(訳注※3)で遊べるようになった。クールになるための壁が低くなって、みんながクールになった。オーケー、実際はそうじゃない。俺らはまだクールじゃない。けれど、流行に敏感な最新のファッションを身にまとったゲーマーだと、少なくとも自分をごまかす程度には、ドミニオンをプレイできた。

※1・・・SF世界を舞台にした交易系のボードゲーム。日本語での詳細なレビューを見つけたので、こちら

※2・・・アメリカのSFテレビドラマ「バトルスター・ギャラクティカ」に登場する女性キャラクター。イメージはこちら

※3・・・ボードゲームをインターネットのオンライン上で遊ぶポータルサイト

それで、俺も最近、ドミニオンをかなりプレイした。BSWで多くやったけど、実際に何人かクールな奴らが知り合いにいたから、何回かは対面でもやってる。実際、200戦、いやもっとかな、プレイしたよ。プレイ回数でその次に来るのは「ケイラス」だけど、それもたったの83回だから、すげえプレイしたってこと。だから、少なくとも、このゲームについては、興味深い何かを語るのに十分プレイしたって言えるんじゃないかな、多分。



1.良い所。というか俺が気に入ったところ

○革新的な仕組みで作られている

このゲームは、デッキ構築が全てなんだ。デッキ構築ってのは、ゲームをプレイする前に準備としてするもんだ。まあ、ミニチュアに色を塗ったり、点数トークンを切り抜いたりするのと違わない。なんにせよ、このコンセプトは俺には新鮮だった。そしてユーロゲームの好きの多くにとってもそうだったろう。ただ、マジックザギャザリングが好きなら慣れ親しんだものなんだろうな。「マジック~」のデッキを構築するってのは、かなりスキルが必要だと聞いていたから、そんなゲームを作るなんて全く想像できなかった。思うに、ここがこのゲームのユニークなところなんだ。だからこの洗練された解釈のゲームデザインで、ドナルド(訳注※4)は栄光を手にした。このゲームのコンセプトがいかにユニークかってのを分かりやすく言うなら、来年にウォーハンマー(訳注※5)のフィギュアに色を塗るコンセプトのゲームが出るってのを想像してもらえればいいだろう。

※4・・・ドナルド・ヴァッカリーノ。ドミニオンのゲームデザイナー。

※5・・・ミニチュアの駒を使ったファンタジー世界を舞台にしたアナログゲーム。ミニチュアゲームとしては最も有名なものの1つ。

○ゲームデザインに忠実である

ドミニオンは、レースフォーザギャラクシーでもできなかったことをやり遂げた。つまり、自らのゲームデザインに忠実であり続けるってことだ。ドミニオンはカードゲームだ。だから必要なのはカードだけなんだ。財宝もカード、勝利点もカード、呪いでさえカード。ゲームのシンプルさからこれ以上何も取り除く余計なものが全くない。これは素晴らしく純粋なデザインになっているんだ。

○何回でもプレイしたくなる

ドミニオンでは、25種類の王国カードがある。けれど、1回のプレイで使うのはその中の10種類だけ。だから、まず同じようなゲーム展開にはならない。完全にこのゲーム遊び尽くすには、287,502,394,802回(訳注※6)はプレイしないといけない。でも、がんばってそんなに何回もプレイしても、どうやら、ドナルドはすでに500枚くらい新しいカードを作っているみたいだけどな。

※6・・・なぜこの数字になったのかよく分からない。ちなみに25種類の中から10種類を選んだとき(25C10)の組み合わせ数は、3,268,760。

○ダウンタイムがなく、速い

このゲームは、全てのカードのコンボを実際出すことができるくらいの時間しかかからない。BSWでは、だいたい慣れたプレイヤーであれば、4分ぐらいで終わる。実際にカードを使ってプレイする場合であれば、シャッフルが多いとは言え、それでもかなり早い方で、20分ぐらいだろう。空き時間を埋めるものとして実にいい戦略ゲームがプレイできるってことだ。おそらく、プレイ時間が短いってことよりも、各ターンが短いってことの方が重要な点だ。それはつまり、他のゲームができる程の熟考によるダウンタイムがほとんどないってことだ。

○2~4人のどの人数もちゃんとカバーしてる

その範囲の人数ならどんな人数でもいい感じにプレイできるんだ。戦略はいくらか変わるかもしれないし、一部のカードは重要度が増すけれど、2人でプレイしても4人でやってあまり変わらないんだ。

○長い時間を投資しなくてもいい

レースフォーザギャラクシーのようなゲームと違って、上達するのに長い時間を投資する必要がないんだ。そう、多少カードの価値とかパワフルなコンボの力を判断する経験を積めば、うまくなっていく学習曲線になってる。だから、何百ものカードを覚えたりしなくていいし、計画に必要なたった1枚のカードが手元にくる確率を計算したりする必要もない。向き合うべきものが、全て目の前にあるんだ。

ランダムに選ばれたセットを最初に分析する。これはアグリコラの手札分析に似て、大体、初めて見る10枚の王国カードセットに向き合うことになる。ゲームの最初は、このセットを分析して、初期の戦略を組み立てることだ。俺にとって、この部分がゲームで最も面白い部分だ。そしてこのゲームの戦略的な2つのポイントのうちの1つがここだ。Alexfrogが投稿した見事な記事が"http://bgg.cc/thread/354729"にある。この記事は何回か読む価値がある。

カード購入の戦術的な決断。けれど、その時点での手札の構成で、各ターンでできることは限られてくる。最初、アクションカードを出すことはできず、次第に少しずつ出せるようになる。けれど、アクションの順番はかなり決まってくる。例えば、「村」を最初に出してから、「鍛冶屋」を出す、とかね。どのアクションカードも一度使ってみれば、自分の取る戦略に最適なカードを大抵購入するようになるだろう。プレイすればするほど、決断の面白みは減っていく。だって、自分の戦略にとっての「最適解」というのが大体あるからね。例えば、6コインあったら、たいていは金貨を買おうとする(「冒険者」や「盗賊」のカードがある場合を除くけど)。

勝利点ラッシュを仕掛けるタイミング。このゲームにおける2つ目の戦略的なポイントが、いつ手札の構築を止めて、勝利点を稼ぎ始めるか、その絶妙なタイミングを見極めることだ。これが大事なんだ。というのも、勝利点を稼ぎ始めると、せっかく作った回転が良くて、財宝が多く詰まったデッキが、あの緑色の勝利点カードのせいで、ふんづまっていくんだ。そうすると、ゲームが終盤に近付くにつれて、だんだんと高いカードを買うのが難しくなってくる。勝利点を稼ぐのが早すぎて、いいデッキを作っても、勝利に必要な高価なカードをパスするしかなくなる。そうして手札を作っているときの勢いをそのままにゲームを終わらせることができない。そんな対戦相手から勝利をもぎとったことが何回かある。こういうタイプの勝利はスリリングだけど、経験を積んだ相手であれば、こういうことは少ない。


まあ、公平な俺のドミニオン観としては、すべてがバラ色ってわけじゃない。100戦ぐらいしたら、若干、嫌になるところもあるし、不公平な感じの部分にも気づき始めるんだ。


2.悪い所

×考えずにプレイするようになる

このゲームは、メールチェックしながらプレイできる(だから、自分のターンが来ると大きくディンドンと音が鳴るBSWでプレイするのが好きだ)。アクションカードを出す。銀貨か金貨を買う。もしくは祝祭や市場を買う。余裕があれば何か他のを買う。俺がさっき言った「カード購入の戦術的な決断」というのは、もはや全く面白いものじゃなくなってる。俺にとって今やこのゲームは、いかにして早くカードを手に取るか、ってことになってる。あのアクションカードとこのカードと、どちらを選ぼうか、なんてことはほとんどない。もはや選択は、アクションカードを出すときもカード購入も自動的に行うほどに自明なものになっている。俺の例で言えば、最初のターンに銀貨を買って、2ターン目に俺の戦略で使う4コストのカード(「鍛冶屋」か「民兵」)を買う。3ターン目には、金貨を買えるような手札になるのを祈るってな感じだ。

×結局、運による

俺が見つけた最も残念な点は、だいたい同じようなスキルをもったプレイヤー間では、カードの引き運によって勝負が決することが多いってことだ。早く手札に6コイン来たやつが、金貨を獲れて、それがさらに金貨を獲って、そうしてさらにさらに金貨を獲って・・・、それで圧倒的な勝利を手にする。仲間内でやってると、だいたい90%ぐらいが最初に金貨を獲ったやつが勝ってるってことに気が付いた。だから5ターンまでに、立て続けに金貨を2枚買えたプレイヤーがいたら、他はもうその勝負では勝てない、と俺たちは言っている。こうした不利を挽回するには、盗賊が運よくその効果を発揮するような場合しかない(けれど、純粋な盗賊戦略でも、2人プレイで早いターンで金貨が来てしまったら、うまくいかない)。そうでなければ、トップに立ったプレイヤーがカード集めに時間をかけすぎてしまったり、ゲームを終わらせるタイミングを外すような場合ぐらいしか、挽回できない。しかし同じようなスキルを持ったプレイヤー同士では、こんなことも滅多に起きなくなる。

しばらくは、プレイするのがかなり楽しいはずだ。いろいろとやり方が分かってくると、そのメッキは剥がれてくる。深い戦略のゲームであるってことは、うまいプレイヤーが勝つってことだ。けれど、優れたプレイヤーになるためのハードルは、そんなに高くない。特定の過ちを回避するようになれば(「村」カードを過剰に評価するとかさ)、平均的なプレイヤーに安定して勝てるようになるだろう。けれども、うまいプレイヤー同士では、数回のラッキーな手札によって、けっこう勝負が決まってしまう。

分かってる。デッキ構築の技術ってのは、自分の手札の勝算を最大化することだ。けれど不幸にも他のプレイヤーの引きが良かったら、最初の手札をある程度変えていく機会さえ得る前に、完全に勝負をつけられてしまう。

レースフォーザギャラクシーでも運というのはある。けれど、この「レース~」では、単にランダムなものの被害者になるってのとは違って、そうしたランダムなイベントに適応していくというものなんだ。アグリコラなんかも同じだ。運というものが最初にやってきて、それから自分の戦略を適合させていく。ドミニオンではそうじゃない。礼拝堂を買ったからといって、廃棄すべきカードが同じ手札に来るわけじゃない、うまくいくとは限らないんだ。

×合間のシャッフルが多い

最後に挙げる悪い部分ってのは、やたらとやらなきゃならないシャッフルの多さについてだ。そのシャッフルの多さたるや、シャッフルの技術やシャッフルの種類について議論するスレッドが数十個は立つくらいだ。カードスリーブの評価やあげくにはカードが悪くなった時に備えて保存用を買うのを薦めたりって、おいおい、ほんとにそこまでやる?


3.結論

ドミニオンは、偉大で、革命的なゲームだ。こんな乱戦状態のゲーム市場で、まだまだ新しいものを作る余地があるってことを示した。ドミニオンは、その仕組みや、見事なゲームデザイン、短いのに刺激的なゲームプレイといった点で実に突出している。短い時間でプレイできるから、気楽にオンラインでこれからもプレイするだろう。そしてもし誰かが対面で直接これをプレイしようとしてたら、1337ある俺のスキル(礼拝堂-書庫デッキ!みたいな)を披露するために、参加しちゃうかもしれない。

けれど、それほど戻ってきたいとは思わないゲームなんだ、アグリコラやスルージエイジズのようには。そしてあえて言わせてもらうと、レースフォーザギャラクシーのようには。

だけど、俺はこのゲームの持つ可能性はすごく気に入ってる。こうした「自分の文明を構築していくと、ポイント獲得が減速していく」的仕組みが将来、より戦略的な深さを増して採用されることを期待してる。

俺の最初の評価は10点に近い9.5点だった。けれど、今は、この評価を9点まで下げたい。9点、まあ、いいだろ?

追記1:

プレイヤー間の絡みに俺が関心を示してないことについて、誰もコメントしてなくて驚いてる。ドミニオンはレースゲームだ。だから、大量の絡みがないことには驚かない。反対意見もあるかもしれないけど、俺にとっては必ずしもプレイヤー間の絡みが必要じゃあないし、ゲームについての俺の考え方に関係するものでもないんだ。

追記2:

俺の論点を違った観点から言い換えている良いレビューがあった。少しだけ引用する。

より重要なのは、両方のゲームとも、5枚のカードが配られて、記憶か直観の優先順位に基づいて、直接購入するものを決定するという点だ。フィードバックは、速く、直接的だ。両方とも、短いし、難しくない。基本的な戦略を知っているプレイヤーにとっては、いい気分になって、中毒的になる。ある段階で、どちらのゲームのプレイヤーも、負債をカットしたり、ピークを見極めたりして、いつ清算するかを決める必要がある。この決断は、両方のゲームで同じタイプの"要素"に基づいている。ここでいう"要素"というのは1つじゃなくて、複数の要素なんだ。(訳注※7)

※7・・・引用元のレビュー記事は、こちらのページ

2012年10月19日 (金)

【海外レビュー翻訳】なぜ僕はアグリコラよりストーンエイジの方が好きなのか?

海外のボードゲームサイトBGGを見ていて、見つけたレビューの翻訳です。それほど目新しいことを言っているレビューではありません。英語の勉強がてら、翻訳してみただけです。
ちなみに、ストーンエイジは持っていません。アグリコラを買う前に、ちょうどストーンエイジとどちらを買おうか迷っていました。そのため、このタイトルに惹かれて、読んだ次第です。(結局ストーンエイジはまだ購入してないです・・・)ストーンエイジはプレイしていないので評価できませんが、私自身、アグリコラは凄く好きです。私のアグリコラレビューはこちら


原文は、こちら"Why I prefer Stone Age to Agricola?"。


では、以下レビュー本文記事です。誤りなどあったら教えてください。(結構あると思うので)



なぜ僕はアグリコラよりストーンエイジの方が好きなのか?


最初に言っておきたいのは、このレビューは「なぜストーンエイジがアグリコラより優れているのか」ではない、ってことだ。ボードゲームデザインの客観的な基準からして、アグリコラがストーンエイジよりも優れたゲームであることは僕も認める。ただ、僕はストーンエイジで遊ぶ方が好きなんだ。それはなぜかって理由を語ろう。理由は大きくいって2つある、テーマとゲームプレイだ。


テーマ:
ストーンエイジもアグリコラも、資源を集めたり、建物を建てたり、資材を買ったり(これによって、ゲーム内でいろいろと有利になったり、勝利点が増えたりする)、労働力を増やしたり、その労働力を養ったりするゲームだ。自分の農場にあらゆるものを詰め込めるという意味において、アグリコラには、いろいろとテーマ性が強く打ち出されている。けれど、アグリコラはいくつかの点で、テーマ性について本当にイライラすることがある。


(1) ストーンエイジでは、資源がどこから来たかってことが簡単に理解できる。人が森や山などに行き、作業をして、その場所にまつわる資材を、働き手の数、作業道具、運(ダイスの目)に応じて入手する。これは、テーマ的にとてもわかりやすい。そして、資材を生むための3つの要素を関連させるやり方は、実に巧みだ。じゃあ、アグリコラはどうだろう。各ラウンドの最初に資源が現れ、人がそれを取りに出かける仕組みだ。けれど、その資源は、どこから、やってきたのだ? そして、なぜやってきたのだろう? その場しのぎの答えならいくらでも考えられるかもしれない。でも、それはストーンエイジのように、自然にゲームから出てくるものではないんだ。


(2) アグリコラでは、なんで最初から石材を集められないんだろう? 最初から子供を増やせないのはなぜ? ストーンエイジと違って、アグリコラでは、ゲームが特定の段階に進むまで、取れるアクションが制限されている。ああ、僕はこれが悪いことだって言おうしているわけじゃない。実際これは、ゲームのキーとなる仕組みだ。いつ子供を増やすことができるようになるか、そのタイミングが毎回違うから、プレイする度に変化があるんだからね。けど、それってテーマ的に理由があるわけじゃないから、僕にとってはいらいらするだけなんだ。


(3) テーマ的に考えよう。ストーンエイジの方は、いろんなアクションをするために必要となる人の数に大体納得できるんだ。でもアグリコラは違う。資源を収集するときの人数については前にも書いたことがある。だけど、子供を増やすのに必要な人数はどうだい? アグリコラでは1人でいいんだってさ! あー、君たちは、こう言うだろうね。「アグリコラで子供を持つのは、母親なんだよ。だけど、子供がいる間はゲーム内のアクションができないだろ? 父親は、資源を集めたりできるけどさ」 で、ここがポイントなんだが、アグリコラにおける時間枠というのは、とても理解しづらい。「ゲーム内時間」で1ターンというのはどれだけの長さなんだろうか? キーとなるポイントは、子供は1ターンで誕生して、そのすぐ次のターンではもう働くことができる!ってことだ。だから、1ターンは少なくとも5年ぐらいになるはずだ。けれど、これだと、ゲームのほかの部分と辻褄が合わなくなる。巡りくる収穫のサイクルは、たぶん、1年に一度だろう。これはどういう事かというと、収穫サイクルの間が3か2か1ラウンドであれば、ゲームの各ターンは、わずか4か月か6か月か12か月になる、ということだ。じゃあ、ストーンエイジの場合を考えてみよう。各ターンはおよそ5年だと考えて問題ないだろう。ゲームは5人でスタートする。かれらは思うに10歳から30歳の人間だ。このゲームはたいてい10ターンぐらいで終わる。つまり50年だ。最初からいた人間は、ゲームの最後ではとても年老いてしまう。これは、ゲーム終盤で初めての子供を作ろうとした場合に、いくつか理屈が通らなくなるが、他の点については問題ない。当たり前だけど、どちらのゲームも、1年に1回、もしくは5年に1回だけ食事を取るんだ、なんて考えさせるようにはなってないからね(食糧面は、標準的な基盤として全体でまとめられてるんだ)


だから、これらのポイントが、僕の提示したアグリコラのテーマ性という問題を要約している。ただ、ストーンエイジにおける建物と文明カードについて、いくつか言わなければならない。これらがテーマとしては、最も弱い部分だからだ。文明カードというのは実際そんな悪いものじゃない。これらは、さまざまな発展を表現している(アグリコラにおける進歩カードのように)。そして、短期的か、長期的に便益を与えてくれる。アグリコラでは、進歩によって継続的な便益に加え、直接的な勝利点をゲームの最後にもたらす。ストーンエイジでは、即時的な便益に加え、ゲーム最後の資材に応じた勝利点をもたらす。だからどちらのゲームにおいても、進歩カードに問題があるわけではない。


建物にテーマ的な意義を与えるのは、結構難しい。それをしようとは思わない。テーマに沿って機能する建物というのは好きだが、ゲームのコアな仕組みの部分で役割を果たさないからと言って、ひどく困るものでもない。あらゆるワーカープレイスメントゲームがそうだ。資源の勝利点への交換は、ほとんどあらゆるゲームにおいて問題となる。なぜなら、これまでの経緯がどうかというよりも、これはゲームとして勝者をきめるのに必要な手段であるからだ。ストーンエイジの建物は、よりテーマに沿って公正で、簡易に作られている。たとえば、建物の絵柄は、それを立てるのに必要な資源に適した絵柄にすることもできただろう。けれど、ゲーム製作者はいくつかの理由により、あえてそうしなかった。私のポイントはこうだ。テーマの強さは、ゲームにおける勝利点の部分に対して、決してうまく機能しない、ということだ。


OK。この記事を読んだ君らの反応は多分こういうものだろう。「あきらめろよ。これは単にゲームなんだ。テーマっていうのはどこかの部分でうまくいかないものなんだ」そう、それはその通りだ。けれど誰だって、そのゲームがテーマとよりよく一体化している方がいいんだ。要するに、アグリコラは、実に多くのディテールによって、農場を作り上げることをシミュレートするゲームであろうとしている。これは、真面目なマイクロマネージメントだ。けれど、肝心なのは、ゲームプレイを良くしようとしてテーマ性が失われてしまったという点なんだ。そうなんだ。あらゆるテーマを持ったゲームはゲームプレイでそのテーマを満たさなければならない。しかし、事実、アグリコラが細かなテーマに沿った要素をたくさん持っていることで、実に辻褄の合わないことが目立ってしまい、イライラするんだ。ストーンエイジは、高度で細かなテーマ要素で没頭できるようなゲームであろうとしていないが、(皮肉なことに)アグリコラよりもそのテーマは筋が通っている。アグリコラは、その自身のテーマ的ディテールにより、自ら失敗しているんだ。


ゲームプレイ:
OK。ゲームプレイという観点から、なぜ、アグリコラよりストーンエイジが好みかってことを簡潔に付け加えよう。繰り返すけど、これは単に僕の好みを書いているだけであって、ストーンエイジが実際的、客観的にアグリコラより優れいているってことじゃないんだ。(実際それは違うだろうしね)


(1) アグリコラは、頭が沸騰しそうになるゲームだ。これは主に、誤りなくアクションを続ける必要があって、これが長く続いて、失敗に陥ったりするからだ。ロジスティックス(物流)のゲームなんだ。ある意味、ストーンエイジも同じだけど、そうしたアクションの連続は、それほどは長くない。こういう点を好む人間がいるんだ。面白いことに、アグリコラは、多分、戦略的でも、戦術的でもないゲームだってことだ(そういう要素はあるけれども)。何よりもロジスティクスのゲームだと思う。純粋な戦術的なゲームにおいては、単に自分のターンでベストな行動を取ればいい。先のターンのことを気にしないでね。戦略ゲームにおいては、かなり明確なゲーム全体の計画に対する考えを持って、それに向けて行動する。アグリコラでは、実際、ゲーム全体の計画を持つってのはできない。他のプレイヤーのアクションが簡単にそういう計画をダメにしてくれるし、カードが望ましい順番に出てくるとは限らないからね。自分の行動を「縛ら」ないとならないから、1回に、色々な行動をとることもできない。代わりに、一連のミニ戦略(この1つ1つがロジスティックスのセットだ)を立て、それを使って最後まで何とか切り抜けていく必要がある。ストーンエイジは、戦術的というよりは、むしろ戦略的なゲームだ。それなりに早いある時点で、飢餓、大きな道具、建物の素早い枯渇などを通して、どう進めていこうかということを決める。そして、その方向性に沿って動き、とりわけカードの順番に応じて戦術的な決定があることを理解していく。どちらかのゲームの「スタイル」が一方より本質的に劣っているとかではなくて、僕の個人的な好みがストーンエイジのスタイルの方とあっていたってことだ。そして、このストーンエイジのスタイルは、カタンの戦術と戦略の混ざり具合に似ていると僕は思う。


(2) ストーンエイジと同じように、アグリコラはワーカープレイスメントゲームだ。限られたスペースを巡ってプレイヤーやワーカーが争うという仕組みで、プレイヤー間の絡みが実現されているのも同じだ。大きな違いは、ストーンエイジでは、5人以上のワーカーが、各資源の7つの産出場所と3つの特殊エリア(農場、道具、子供)という場所で争うのに対して、アグリコラでは、2人以上のワーカーが各資源の「1つの」産出場所を取り合うことになる点だ。だから、アグリコラでは、いい資材を取るのにより苦しむことになる。ストーンエイジでは、1回のターンで全員がレンガを取ることができる。アグリコラでは、たった1人しかレンガを取ることはできない(レンガを取ることができる追加のスペースがあることは知ってる。でも、そこで取ると、普通に取るよりも効率が悪いんだ)。これはすごく厳しい。このことは次のことも意味している。つまり、自分自身が最も良い結果を得ることと他プレイヤーのやりたいことを妨害することの両方の観点において、各プレイヤーの目的が、最適なターン行動のゲームバランスを作り上げている。これは、プレイヤーの絡みは、ほとんどすべてが相手のやりたいことをブロックすることになるってことだ。もちろん、ストーンエイジも(ワーカープレイスメントゲームであれば)似ているけれども、はるかにその厳しさは少ない。相手の行動をブロックしようと考えることが少ないんだ。(2人プレイのように、アグリコラに似て配置制限が厳しくなる場合は除くけど)。僕の好みとしては、プレイヤー間の絡みは、「負の面」がより少ない方がいい。アグリコラは「イヤなやつ」のゲームなんだ。それは、カルカソンヌに少し似ていて、しばしば自分の得点を重ねるよりも相手をブロックする方が効果的だ。ストーンエイジはなんとか、「イイやつ」のゲームになってる。(「イヤなやつ」プレイをする余地はあるけどね!)こういうゲームが僕は好きなんだ。これは単に僕の好みだってだけだ。(だから「イヤなやつ」とか「イイやつ」とかいう言葉もできれば使いたくないんだよ、僕の言いたいこと、分かるだろ。)


(3) (以下の議論は、後で追加したものだ)アグリコラでは、やり初めのころは全く勝てなかっただろ。こいつは、初心者泣かせなんだ。ストーンエイジと電力会社の2つのゲームは、ゲームの最終局面まで負けそうになっているってことを初心者に対してとても巧妙に隠しているゲームの典型例だ。これは、電力会社なら、初心者をびっくりさせるようなゲーム後半の盛り上がりで実現しているし、ストーンエイジでは、隠してあるカードがトップの人を完全に逆転する大きな点数になるという仕組みで実現している。けれど、アグリコラでは、ゲームのかなり早い段階で、相手より数ラウンドは後手に回っているってことに気づいて、残りのゲームは形だけプレイしているような状態になる。すっごい悩ましいことだ。だってこれは、アグリコラは、近い実力を持つ者同士でやらなければならないという事になるからだ。ストーンエイジや電力会社でも、初心者は負けるだろう。でも、ずっと楽しいんだ。なぜなら、自分の負けが分かるということに対して、ある種意図的に無知でいられるように、不明瞭にしてあるからだ。アグリコラでは、最初の30分で自分が負けることが分かり、屈辱的な残りの1時間を味わうことになる。これは最低だ。


最初に言ったように、実際のところ、ストーンエイジよりアグリコラの方が優れたゲームだと思っているし、それはBGGの評価にも反映されている。アグリコラには苦しい決断や、実に多くの多様性、リプレイ性(デッキのおかげで)があり、(ある程度)人気の素晴らしいテーマ性があり、多くの選択肢がある。僕は根気強くアグリコラにも励むのだろうが、ふつうに言えば、ストーンエイジで遊ぶ方がやっぱり好きなんだ。